演奏会2019プログラムから
徒然に−合唱団響編 記録ではなく、曖昧な記憶で書くことになる。 1994年にノルウェーのリレハンメルで冬季オリンピックが行われた。次は日本、長野で4年先と決まっていた。その年、その長野に文化交流の一環として、ノルウェーから合唱団が送られた。グレックス・ヴォカリス(Grex Vocalis)である。 グレックスの最初の予定では、長野県内を演奏して周るだけだったようだ。できれば東京でも演奏したいとのこと。その受け入れ先として、日本合唱指揮者協会(JCDA)に要請があった。 当時わたしは当協会の副理事長であった。恒例の理事会でこの件について話し合いがあり、かなりの議論の後、断ることになった。わたしは是非とも、との意見だったが、多数決という民主主義は悲しいものである。 せっかくの機会を実現したいと、わがままな栗山の独裁制で成り立つわたしの仲間たち「栗友会」で引き受けることにした。 6月22日、川口リリア音楽ホールで、ノルウェーと日本の小さな国旗をたくさん飾っての、かなりお祭り色豊かな演奏会が始まった。20人位だったと思う。美しく着飾った民族服の団員の、毛足の長いビロードのような声で会場が満たされていった。気品のある佇まい、それに優しいユーモア、広がるピアニシモ、柔らかいフォルテシモ、純正調だの平均律だの関係ないからだを包むハーモニー。ああ、迎えてよかった。 演奏会の倖せをいっぱい溜め交流を兼ねたレセプションが始まる。興奮さめやらない仲間たちと談笑していたわたしに、美しく波打つ銀髪、ステージでの民族服、バランスのとれた体格のいい男性が近づいてくる。演奏会の始まる前にチラッと挨拶をしたが、あらためてその演奏後のほほえみと音楽のオーラに包まれた合唱指揮者、カウンターテノールのカール・ホグセット(Carl Høgset)との運命的な最初の出会いが、ここであった。 昨年6月2日、カール・ホグセットは亡くなった。1941年11月3日生まれ。享年79歳。 出会いから27年、ほぼ毎年のように会い、かれのエネルギッシュな諦めない練習を見、また、ビール、日本酒、ワインなど、心行くまで杯を交わし、彼の音楽へ向かう心、年齢を重ねたいまに行っている合唱活動などを、飽きることなく話し合った。畏友安保洋子さんも、朝からの講習会、練習での通訳の疲れ、かなりの量のアルコールをものともせず、カールとわたしの思いとなって、熱く熱くこころを渡してくれた。 カールはわたしより3ヶ月ばかりお兄さん。彼の住むユーラシア大陸の西北の極のノルウェーと、わたしの住む東のはずれの飛び地の日本は、ふたりの裡ではひとつになる。 《歩くことをやめて、はじめて知ったことがある。歩くことは、ここではないどこかへ、遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、どんどんゆくことだと、そう思っていた。そうではないということに気づいたのは、死んでからだった。もう、どこにもゆかないし、どんな遠くへもゆくことはない。そうと知ったときに、じぶんの、いま、いる、ここが、じぶんのゆきついた、いちばん遠い場所であることに気づいた。この世からいちばん遠い場所が、ほんとうは、この世に、いちばん近い場所だということに。》(長田弘『花を持って、会いにゆく』より) カールが歳を重ねていま行っていること。それは、年齢に関係なく「だれもが歌える合唱団」を作ることだ。お年寄りが多いと聞いたが、初めて合唱にふれるひとたちを教え、かなりのひとびとが集まった合唱団を連れ、実際にイタリアなどに何回も演奏旅行を行っている。それは、とても大切なことだ、とも話してくれた。 わたしの裡では、合唱団響に重なった。創立以来、誰でも四回の練習に参加すれば、年齢は関係無く入団できる。(栗友会の団体はすべてそうだが、響は顕著なのだ) もっともっとの物語があり、今日演奏会をむかえる。カールとの語り尽くせない物語は、演奏が語るだろう。寄りし、集まりし者たちによって。音程、声を超越し、不揃いに並ぶ者たち。いいんだな、かれらは。 台風と仲良く練習した三連休の次の月曜日。保谷、書斎にて。
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主な活動としては、1988年6月にブレヒト作、長谷川四郎訳『子供の十字軍』を青島広志、新実徳英に委嘱、加藤直演出で初演。93年「地球の詩 -三善晃合唱作品の夕べ-」を開催。94年ノルウェーのグレックス・ヴォカリース初来日公演主催。ルワンダ難民の子供たちにクリスマスプレゼントをとチャリティーコンサート主催。95年エストニアのエレルヘイン少女合唱団招聘に参画、招待演奏会主催、2002年「だかあぽこんさあと」(栗山文昭指揮生活30年・中島健蔵音楽賞受賞記念)、2003年「にもんめのにいみとくひでさん&にしむらあきらさん」、2004年「さんもんめのみよしあきらさん」、2006年「よんもんめの はやしひかるさん てらしまりくやさん」、「ごえん・ごちゃごちゃ・ごもんめ」、2009年「ななもんめコンサート」など。
またオーケストラとの共演は、1992年「交響的変容」(水野修孝作曲)、
97年 東京交響楽団(以下東響)/石丸寛「ブラームス:ドイツ・レクイエム」、
98年 新日本フィルハーモニー交響楽団(以下NJP)/朝比奈隆「ベートーヴェン:交響曲第9番」、東京フィルハーモニー交響楽団/大野和士「ヘンツェ:交響曲第9番」、
99年 NJP/岩城宏之「リゲティ:レクイエム」、東響/大友直人「シュミット:詩篇47番」、ベルリン・ドイツ交響楽団/ケント・ナガノ「マーラー:交響曲第3番」、
2000年 東京都交響楽団(以下都響)/ガリー・ベルティーニ「メンデルスゾーン:真夏の夜の夢」、NJP/井上道義「マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナ,レオンカヴァレロ:道化師」、
01年 NJP/クリスチャン・アルミンク「ヤナーチェク:グラゴル・ミサ」、東響/大友直人「黛敏郎:古事記」、
02年 NJP/ゲルハルト・ボッセ「ベートーヴェン:交響曲第9番」、
03年 都響/井上道義「ショスタコーヴィチ:交響曲第3番(メーデー)」、東京フィルハーモニー交響楽団/岩城宏之「黛敏郎:涅槃交響曲」、NJP/佐渡裕「ベートーヴェン:交響曲第9番」、
04年 読売日本交響楽団(以下読響)/ユーリ・テミルカーノフ「オルフ:カルミナ・ブラーナ」、NJP/井上道義「バカロフ:ミサ・タンゴ」、
05年 ロイヤルフランダースフィルハーモニー管弦楽団/ヘレヴェッヘ「ベートーヴェン:交響曲第9番」、新交響楽団(以下新響)/飯守泰次郎「ラヴェル:ダフニスとクロエ」、NJP/アルミンク「マーラー:交響曲第2番ハ短調 復活」、
06年 読響/セゲルスタム「マーラー:交響曲第2番ハ短調 復活」、NJP/アルミンク「オネゲル:火刑台上のジャンヌ・ダルク」、新響/小松一彦「黛敏郎:涅槃交響曲」、NHK交響楽団/アシュケナージ「ラヴェル:ダフニスとクロエ」、
07年 NJP/アルミンク「ワーグナー:ローエングリン」「J.シュトラウスU:こうもり」、サンクトペテルブルク交響楽団/井上道義「ショスタコーヴィチ:交響曲第2番(10月革命に捧ぐ),第3番(メーデー)」、
08年 NJP/アルミンク「ブリテン:戦争レクイエム」「R.シュトラウス:薔薇の騎士」、都響/ボージッチ「ヴェルディ:アイーダ」、NJPワールド・ドリーム・オーケストラ/久石譲「久石譲in武道館」、
09年 NJP/フランス・ブリュッヘン「ハイドン:天地創造」、NJP/小澤征爾「メンデルスゾーン:エリア(日本語上演)」、NJP/アルミンク「シュミット:七つの封印を有する書」「マーラー:千人の交響曲」、サイトウキネンフェスティバル/小澤征爾「ブリテン:戦争レクイエム」、
10年 NJP/アルミンク「ブラームス:悲歌」「ヴェルディ:レクイエム」、サイトウ・キネン・オーケストラ/小澤征爾「ブリテン:戦争レクイエム」、
11年 NJP/ブリュッヘン「ベートーヴェン:交響曲第9番」「バッハ:ミサ曲ロ短調」、NJP/アルミンク「ブラームス:運命の歌」
など。