第4回世界合唱シンポジウム参加記

シドニー裏話(影山が見た編) 影山哲也(ベース)


・私は前の会社に合唱をやっていることを一切言っていないので、今回のシドニーの
ための休暇を取るときに苦労した。しかし何とか全日程参加したかったので、怪しまれ
ずに休暇を取る理由として、「ちょっと個人的にシドニー招待されているので…。」と
言ったら、余計に怪しまれた。

・8/6の朝、みんなの心配事の1つに「信長は寝坊しないであろうか」というのが
 あったはずである。しかし信長はちゃんと30分前にいるのではないか。どうしてだ?
 と思いきや、実は前日私の家に健太と泊まったのである。良かった、良かった。

・シドニー着いた夜、同部屋の私と信長はテレビを見ながら休んでいた。チャンネルを
 変えている内に2人は驚いた。「何とNHKの衛星放送が入るのではないか!」
 2人はその衛星放送を見ながら日本との時差を実感し、それから毎日衛星放送を
 見た。しかし、その衛星放送が有料だったと気が付いたのはそれから4日後であった。

・三善先生のワークショップの時、あのMOSES HOGANが聴きに来たことに気が付いた
 人は、以外に少なかった様である。(私はすぐに気づいた。)

・MOSES HOGAN GHORALEがオペラハウスで演奏した曲も、現地で販売されていた
 MOSES HOGAN GHORALEのCDも、全て指揮者のMOSES HOGANが作曲・編曲した
 ものである。ということは、OMPも将来的には "Takatomi Nobunaga CHORALE"
 もしくは "Tokyo Choir Takatomi Nobunaga" になっていくのだろうか。

・"MOSES HOGAN"を本当に”モーゼス ホーガン”と読むのでしょうか。誰か
 教えて下さい。
・最終日にオプショナルツアーで見に行った3 Sistersの伝説を知っているだろうか。
 様々な説があるがその中の1つが次である。
 『昔、この村(現在の3 Sistersの近くにある村)に若い娘をさらう悪魔がやってくる  という噂が流れ、それを知ったある父親が魔法のおばあさんに、一時的に自分の娘を  岩に変えてほしいと頼んだそうだ。早速魔法のおばあさんはその娘を岩に変えたが、  いざ娘をもとに戻すとき魔法のおばあさんは魔法を忘れてしまってもとへ戻せず、  現在に至った。』という説がある。
 しかしそれを聞いた荻野が、「何もあんな目立つところに岩にしなくてもいいのに…」
 とつぶやいた。荻野、そういう問題ではない。


・地元の日本人ラジオ放送に生出演した後、そのまま軽く飲みに行った。その中の
 メンバーの1人、飯田さっちゃんは「私はもう立派な大人なんだから、ビール
 ぐらいつげます!」と豪語していた。しかしその直後に杉野さんにビールをつぎ
 始めたとたん、何を思ったのかさっちゃんは杉野さんの手にビールをジャバジャバ
 かけ始めた。さっちゃん、もう少し大人へ修行が必要なようだ。

・シドニータワーを見て、「横浜マリンタワーだ」と思った人は少なくないようだ。

・高田さんの部屋からはオペラハウスが見えたそうだが、私の部屋の真ん前は
 銀行であった。

・シドニー郊外の動物園で私だけがなぜか英語のガイドブックをもらったのは有名な
 話だが、その時と同じ格好でロックスで買い物をしていたら、店員に日本語で
 「こんにちは」と言われた。まだまだ修行が足りないようだ。

・オペラハウスでのコンサートが終了した後、正面の階段である外国人が日本語で
 「武満の翼、最高!」と言ってくれた。私が「日本語、お上手ですね」と話しかけた
 ところ、「はい! 明日、私は札幌に行きます!」と答えた。実はこの人は、
 カンタス航空の乗務員であった。

・クロージングコンサートの日、お昼頃アトランタオリンピック選手団の凱旋  パレードが、サーキュラー・キーの駅前通りを通った。当然沿道にはたくさんの  市民がいて、みんなで選手達を祝福していた。しかし良く考えて見ると、  この日はごく普通の平日で、特に何かの記念日でも休日でもなかった。どうして  あんなに人がいたのだろう。


影山哲也

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