OMPコンサート・レポート Tokyo Choir OMP

新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会

1999.2.18(木)/19(金)

■プログラム
新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会A
1999.2.18(木)すみだトリフォニーホール
1999.2.19(金)オーチャード・ホール
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1.バッハ/チェンバロ協奏曲第3番 BWV.1054
2.湯浅譲二/Vn協奏曲「イン・メモリー・オヴ・武満」
3.リゲティ/レクイエム
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出 演:曽根麻矢子(チェンバロ)
    堀米ゆず子(ヴァイオリン)
    山田綾子(ソプラノ)
    小川明子(メゾ・ソプラノ)
    栗友会合唱団(合唱)
    栗山文昭(合唱指揮)
    新日本フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)
    岩城宏之(指揮)

■レポート/感想


リゲティ/レクイエム(新日フィル+栗友会) 唐澤

 トリフォニーは何度か来たことがありますが、ロビーがめちゃ狭い(ほとんど ただの通路)ことをのぞけば、まあ、いいホールだと思います。おなじく線路際 にある「北とぴあ」でなんだか地鳴りがすることと比べて、完璧に防音されて いるのも大したものだと思います。  しかし、なんとなく客層が「地域住民の招待客」って感じの老人だらけ、とい うのは、別に老人が悪いとは思いませんが、ざわざわと落ち着きがないのには まいりました。  湯浅にリゲティーというプログラムなら、招待する側にも配慮というものが 欲しいと、新日の事務局には進言しておきたいものです。  また、4月に朝比奈さんが振るというので、会員になって、いらないチケット をチケット屋に転売した方が多いそうです。  「チケット購入時にわずかなS席を残してほぼ売り切れ」と聞いていたのに、 客席には半分強くらいしかお客が居ませんでした。  朝比奈無しでは半分の客の入りしか稼げないということを証明したようでもあ り、事情はあるのでしょうが、朝比奈だけ取って後は捨ててしまうというのは、 失礼ではないかと思うのです…。(N響の定期ではほとんどそういう空席は無い 気がします)  とにかく、ざわつく年寄りと、やたらにある空席のおかげで実に雰囲気の悪い 開演前の空気なのでした。 (ダーク色の壁材のせいで、もともと暗い感じのするホールだとは思うのですが。)  さて、バッハのチェンバロ協奏曲は、なんとなく、オケとソロがしっくりきて いない感じで、やけにチェンバロのリズムが粘る気がしました。わざとかも知れ ませんが、もっと軽やかに走るのが好みです。  「イン・メモリー・オヴ・武満」は、CDを買って聴いたときにとにかく凄い曲 だと思いましたが、この演奏会でも密度の濃い演奏が聴けたと思います。  どこが「イン・メモリー・オヴ・武満」なのか良くわからないのですが、オケ の和音の色彩には、武満作品を連想させるものがあると思います。  ヴァイオリン・ソロはひたすらシリアスに密度の高い音色で瞑想的な音を紡ぎ 出すのですが、堀米さんはとても良かったと思います。 ***  最後に、本日の目的の「リゲティ/レクイエム」  2001年宇宙の旅のモノリスのテーマとしてこの中の「キリエ」が使われていて それだけが有名で、唯一の録音も廃盤だとかいうので、ここで聴くしか手があり ません。貴重な演奏です。 1.入祭唱  バスのとてつもないピアニシモの低音で始まり、何かがやってくる感覚です。  時折「ブゥワ〜」っと鳴るチューバが何となくチベット密教音楽を連想させま すが、そんなわけで、西洋の教会の中のイメージよりは、曼陀羅的無限を感じさ せる響きが充満していました。 2.キリエ  耳に親しんだというと変ですが、モノリスが出現したときの怖い音楽ですが、 聞き始めた瞬間に目が覚めるような思いがしました。  というのは、映画の中のキリエは「ほとんどクラスター」に聞こえるのですが、 譜面には、細かく細かく全員の音がびっしり書き込まれていて、音程も トレモロ的な揺れも、曖昧なところが排除されているわけです。団員から譜面を 見せてもらってずっと、「ここまで書かなくても、結果は大差ないだろ…」と思 っていたのですが、栗友会合唱団の合唱を聴いて、リゲティーがとことん書き込 んだことの意味が聞こえた気がしました。  それはベタ塗り、もこもこしたクラスターでは無くて、書かれているさざ波の ような音符が、ひとつひとつうねり、うごめいているのが見える感覚です。  キリエで無数の人が祈りを捧げている姿を描いたのだとしたら、今まで聴いて いたのは、遠くからぼんやりと見えていただけなのに対して、ここで聴いた キリエは、それが確かに一人一人の祈りを積み重ねたものであると認識できたと いう感覚です。 3.主に従う日  この曲で一番劇的な楽章。ソリスト二人がとにかく凄かった。  メゾの厳密な音程、芯のある張りつめた声。現代音楽的なものすごい跳躍を 鍵盤楽器のように正確に決めます。そして、オケの各楽器と曖昧さを廃した音程 とリズムでビシビシはまります。さらにそこにシャープな合唱が加わります。  激しい強弱、音程の交代が微塵の曖昧さもなく鳴らされるのを聴いて「ぞくっ」 としてしまいました。  ソプラノはのどの調子が悪いのか、少し紗のかかった声でしたが、テクニック 的にはメゾに負けず、ヴァイオリンの高音と、声とが一体になって「キーン」と 鳴り響くところで、大変な効果を出していました。効果としては予想できても、 本当に楽器か人間か分からないレベルで慣らせるのは現実にはなかなか聴けませ ん。  合唱とオケのリズムがあれほど厳密に合うのも、この曲の凄さを増幅しました。  確かに、全編に渡ってフォルテシモで吹き上げる部分がほとんど無く、もっぱ らピアニシモ方向での幅を追求している曲なので、一般的な意味でのカタルシス が得られにくい曲ですが、この精密さに立ち会ったら「ゾク」っとします。  パーフェクトです。 4.涙の日  ひたすら弱音でオケとソロの二人が歌い、途切れるように終わります。  ため息が出ました。  当日のお客さんに一言いいたいのは、解説書に「アタッカ」と書いてあるのだ から、楽章間でゲホゲホするのは止して欲しいということと、最終楽章がいくら 音が小さくて良く聞こえないからと言って、手も当てずにひっきりなしに咳をす るのは止めて欲しいということ。演奏中にビニール袋をがさがさ言わせないこと。  最低限のマナーのない人が、とてもとてもとても多い。  オケ事務局としても、墨田を本拠地として活動するなら、地元の客の教育に 力を入れるべきで、トリフォニーは客質が悪いとなれば、嫌な思いをする客だっ て出てきます。  と、いうわけで、環境はともかく得難い演奏会でした。  終わってから指揮者の岩城さんがとても機嫌が良かったことも印象的でした。  名演として記憶に残ると思います。                                  唐澤

PC-VAN SIG『クラシックコンサートホール』より

演奏会>新日フィル定期       怪鳥

究生さん、お疲れさま。見事な演奏でした。すでに、からから!さんがトリフォ
ニーのレポートを書いておられますが、私はオーチャードで聴きました。
こちらのマナーはそれほど悪くなかったような・・・

新日フィルの会員ではないのでステージで歌う回数の方が多いのですが、久しぶ
りに客席で聴きました。大変に興味深いコンサートでした。
バッハのチェンバロ協奏曲。解説にもありますが、通常は脇役のチェンバロが主
役を勤めているのですが、これがなかなか味わい深く優雅でした。ただ、もっと
小さいホールで聴きたかった感はあります。
湯浅譲二のヴァイオリン協奏曲。これぞ現代曲、というのが第一印象でした。後
のリゲティにも共通するのですが、現代曲というのはメロディーの役割が小さい
のでしょうね。音の塊がうねっている中を、堀米さんのヴァイオリンが縫って行
く、という感じです。
さて、休憩後がお目当てのリゲティ「レクイエム」です。
ウーン、この合唱は大変です。全編クラスターの連続なのですから。レクイエム
の歌詞はついていますが、言葉として聴かせるのではなく音の塊に意味を持たせ
ているのでしょう。それにしても、合唱の声なのか楽器の音なのかわからないほ
どぴったりピッチがあっていたのには驚嘆しました。さすが栗友会ならではの演
奏でした。聴き手にとっては見事な聴き応えのある演奏ですが、歌うと欲求不満
になりそうな・・
合唱に注目していて、オケを良く聴いていなかったような気もするのですが、新
日フィルも健闘していたように思います。特に第3楽章はドラマティックで印象
的でした。また、ソプラノとメゾのソリストが歌う終曲のラクリモサはしっとり
とした味わいがありました。

ロビーで栗山先生にお会いしました。「晋友会が断ったからボクらがやることに
なったじゃぁないか」などという会話がありました。誤解ないように願いたいの
ですが、晋友会がお断りしたからではなく、新日フィルが合唱団のキャラクター
に合わせて初めから栗友会に依頼したのだと思いますよ。
                              怪鳥

PC-VAN SIG「クラシックコンサートホール」より
#9274/9274 大ホール
★タイトル (ESJ58203)  99/ 2/25   1:57  (113)
演奏会>NJP2月定期(トリフォニーA)   ブー
★内容
日 時:平成11年2月18日(木)午後7時15分〜
場 所:すみだトリフォニーホール

(曲目略)

 前月は、N響の日程の関係で、オーチャードに振り替えて聴きましたが、今
月はトリフォニーに復帰です。

 バッハのチェンバロ協奏曲第3番といわれて、どんな曲だったかな〜と思っ
ていたのですが、曲が始まって、「ああ。この曲ね!」。たしかヴァイオリン
協奏曲にも編曲されていた超ポピュラーな曲でした。しかし、こういう曲を生
で聴くのは、物凄く久しぶりです。高校生のときにミュンヒンガーの指揮で
「音楽の捧げもの」を聴いて以来です。

 オケは超小編成で、チェンバロを囲むように配置。弦の各パート4人くらい
だったでしょうか。チェンバロは、装飾のある美しいものでした。1階席でし
たから、チェンバロの音色も良く聞こえました。サポートする弦楽合奏も、つ
ややかで良い音色を出していました。


 二曲目の湯浅譲二のヴァイオリン協奏曲。一言でいえば「予想外」。予想外
にどうなのかというと、予想外に美しかったです。私がそう感じた原因は、オ
ケパートで、たっぷりと弦を使っていたところにあると思います。波のような
弦楽合奏の海の中を、独奏ヴァイオリンが泳いでいくといったところでしょう
か。どうも現代曲というと打楽器と管楽器が強くて、とんがっているというイ
メージがあるのですが、この曲はちょっと違いました。

 休憩でエントランスホールに出てみたら、普段はごった返しているのに、人
気が少ない。1階席も、普段同じ顔が来る(つまり定期会員と思われる)私の
2つ隣、3つ隣の席があいている。2階席、3階席がどうなっていたかは判り
ませんが、「切符ははけても人は来ず」というのでは・・・。


 で、後半のリゲティの「レクイエム」。

 一言でいえば「唖然としているうちに終わってしまい、さまざまな悩みを残
してくれた」という感じです。途中で、バルトークを思わせるような節回しが
チラと出てきたところはあったが、あとは、古典的な意味での「ハーモニー」
「メロディー」の対極にあるような作曲技法を徹底した作品。行き着くところ
まで行き着いたという印象でした。

 物凄い前衛なようでいて、物凄い打楽器の音や、金管のパッセージは、ヴェ
ルディのレクイエムに共通する様式を感じさせてくれたりして、思わず含み笑
いしてしまった部分もありました。

 ただ、今回は、演奏の善し悪しよりも、曲そのものに対する戸惑いの気持ち
のほうが先行してしまいます。「あのような難曲をよくもまあ歌いこなすもの
だ」という称賛を贈るのは簡単なことです。声についていえば、なんであんな
音が取れるのか、リズムをきちんととれるのかという・・・。大学時代、柴田
南雄の「三つの無伴奏男声合唱曲」というのを歌って、そのなかの「秋」とい
う曲に難行苦行し、それどころか、多田武彦の独特の節回しすらやっと歌いこ
なしていた自分とすれば、ああいう曲を乱れなく歌えるというのは、もう、人
間業とは思えません。

 しかし、それと同時に、−これは演奏の問題ではなく曲の問題ですが−人間
の声をあそこまで楽器のように扱ってよいのか、という強い違和感を抱いたの
です。これは今までにないことでした。

 もちろん、「うたとはかくあるべし」などという教条主義的主張を振り回す
つもりはないです。声のもつ可能性を徹底的に追求していけば、ああいう方向
も出てくるでしょう。「これも歌、あれも歌」です。でも、リゲティの手法は、
私の許容範囲を超えていました。これも自分としてはショックでした。結構守
備範囲が広いと思っていたから。

 さらに思いきり脱線します。

 リゲティのレクイエムは、たとえていえば、全日本プロレスではなく、UW
Fです。ロープワーク、場外乱闘、凶器、飛び技等、見せる「ためにする」
要素をすべて廃し、勝敗という結果に究極の価値を見いだす。客席から見えな
い、グラウンドのせめぎあいで、一瞬にして勝敗が決まることがある。ラリア
ットや雪崩式DDTのような、大きなムーヴメントがないから、そういうもの
を期待して足を運んだ客は、置いてきぼりにされます。

 これに対して、たとえば、そうだなあ・・・。ウィーン・リングアンサンブ
ルは、全日本プロレスでしょう。エジプト行進曲のコスプレや歌、常動曲の
「イツマデモツヅキマス」、そしてアンコールの2曲(「青きドナウ」「手拍
子つきラデツキー」)とかは、様式美の域に達しています。ラッシャー木村の
マイクに通じるところがある。無論、卓越した演奏がベースにあります。「明
るく、楽しく、(技術的に)激しいコンサート」でしょう。

 両者について、どちらが正しいとか本筋だとかを論じても意味はないと思い
ます。好き嫌いについては人それぞれあるので、それはいろいろ出てくるでし
ょう。私の嗜好を言えば、先に述べたように、あそこまで徹底して「さあ、ど
うだ」と出されてしまうと、「凄いのは判るけど...」としか言いようがな
い。

 私の感想を短くまとめると
 「あのような想像を絶する難曲を見事に演奏した(であろう)演奏者の技術
の高さには、心からの拍手を贈りたい。ただし、少なくとも今の自分が音楽に
対して求めているものを、リゲティのレクイエムという曲から得ることはでき
なかった。」
 ということになります。


                                                 Λ  Λ
                                                (^Θ^)
                    PC-VAN: ESJ58203   ブー

 ======================= 1999-02-25 (Thu) 00:45:38 ====================

PC-VAN SIG「クラシックコンサートホール」より
#9275/9275 大ホール
★タイトル (NKE44364)  99/ 2/25  14: 6  ( 69)
re:NJP2月定期(トリフォニーA)>ブーさん   からから!
★内容
 なんだか悩んでいると思ったら、そういうことだったんですね(^^)

 湯浅譲二のヴァイオリン協奏曲は、「湯浅は丸くなった」と世間から言われて
いるようですが、私はCDで聴いたときに「ショスタコーヴィチに似ているな」と
おもったものです。
 だから何だってことはありませんが、サウンド的には30年前には前衛バリバリ
だった湯浅氏からすれば丸くなったのかも知れませんが、この曲からは「精神的
厳しさ」を猛烈に感じるわけで、丸くなったという表現は不当ではないかという
気もします。
 熟成してきたとでも言えば…?
 何がショスタコーヴィチに似ていると感じさせたかというのは、その奥底の
厳しさがそう感じさせたのでしょう。

 で、本題のリゲティ/レクイエムですが、
「古典的な意味での「ハーモニー」「メロディー」の対極にあるような作曲技法」
というのは、確かにそうですね。
 この演奏会は「隠れ武満メモリアル」ですが、その関連から行くと武満もかな
り、ハーモニーとメロディーではない原理で音楽を作った人ですから、確かに通
ずるものはあると思えるプログラムです。

 武満の作曲の原理というのは「響きのテクスチャー」であろうと思います。
 たとえて言えば、西洋の幾何学的な庭園のパターンと繰り返しの構成原理に対
して、日本庭園のどこからか来て、どこかへと去っていくような、捕らえ所のな
い流れや、その中でせせらぎや、ししおどしや、笹の葉のざわめきに耳を澄ます
心、…のような態度が、武満にはあると思います。

 リゲティのレクイエムも、西洋に本来ある、音楽による神との対話のような
抽象化された概念はとらず、祈る人間の姿と内面をそのまま音楽で表現しようと
したように思います。音楽から得られる「皮膚感覚」のようなものが、大いに
武満的なるものだと感じます。
 その点で、数による象徴、理知などの方向へ突き進んだドイツの現代音楽など
とは大いに異なり、耳で聞く意味のある音楽だと思います。

 曲について賛否両論ですが、もし、この曲が最高のSFX画像を伴った作品だっ
たらどうでしょうか?
 1.入祭唱…の重低音の響きは非ヨーロッパ的ですが、チベット密教や、
あるいはロシア正教の祈りのシーンを直接的に感じさせ、深遠なるものへの
チャンネルが開くような感じがします。
 2.キリエ…は、ひたすらな神への祈りであり、教会の中というのではなく、
この世界の無数の祈りがひしめき、彼方に救いを求めるシーンです。
 3.主に従う日、4.涙の日…は、テキストの分量も多いですが、曲もテキストに
忠実に爆発したり、泣いたりするように作られていますから、私の力ではちょっ
と言葉に出来ませんが、激しい映像が次から次へと押し寄せてくるイメージはし
ます。

 恐らく、映像を伴った作品なら、「わからん」と言う人はかなり少なくなると
思います。すなわち、こういう作品は音とテキストから、頭の中にイメージを
書けるかどうかが、ピンと来るかどうかの分かれ目のような気がします。

 声楽を器楽的に扱うことは、内容次第でしょうが、この曲には絶対に「声」が
必要だという扱いなら私は、良いのではないかと思います。作曲家も「一音たり
とも間違えてはいけない」という指示は出していないわけだし、めったやたらと
フォルテシモで絶叫させる曲よりは、人間的だという見方もあります。

 ブーさんのプロレスの喩えで行くと、レクイエムは、技術の極致を必要とする
ストイックでショーアップの側面を削ぎ落とした曲だということになりましょう。
 しかし、この曲の聴かせ方については「さあどうだ」という態度よりは、現代
人の内面にある茫漠とした祈りの感情を音として積層していったら、あのような
音になったということであって、小説家の書くものに甘いものも苦いものもある
ように、音楽家の書くものにも、苦いものがあって然るべきではないかと思いま
す。
 この点は、単なる知的好奇心で音符を並べて「生理的に難解」である曲とは
まるで違うと思いますし、反対にもっとも直接的に、怒りや恐れおののきが伝わ
ってくると思います。
 それは一般的な音楽の感興とはかけ離れていますが、祈りというひたむきな
感情をいっとき共有する場を生み出す力が、その音楽に込められているとすれば、
それをただ感じることも音楽への接し方ではないでしょうか?

からから!

PC-VAN SIG「クラシックコンサートホール」より
#9276/9276 大ホール
★タイトル (ETN19816)  99/ 2/25  17:26  ( 16)
演奏会>ちょっとれす>NJP2月定期 ココ
★内容
リゲティに乗り損ねた×友会のものです。
私もちょっとは練習してみて、またCDで原曲なども聴いてみて、
ブーさんの気持ちもよくわかるので、それをお伝えに出てきました。
今回合唱団員は歌っているうちに好きになってきた人も大勢いたのですが
どうも私は、生理的にというか感覚的に受け付けないようなものを
このリゲティのレクイエムに対して感じていました。それはたとえ
もっと練習を重ねて本番で歌えたとしても、変わることはなかった
のではないかと思っています。

この世にわからない音楽とわかる音楽があるのはちょっと悲しいことかも
しれませんが、それはしょうがないことのように思えます。音楽が
どちらかというと頭で理解するより感覚で感じる度合いのほうが大きい
ものである(私はそう思っていますが)以上、起こりうることであり、
無理になんとかしなければというものではないのではないかなと。
                     ココ
…大変失礼しました。ピントはずれな意見でごめんなさい。


ニフティ クラシックフォーラム「演奏会感想の部屋」より
516/516   CXJ06366  SHELL        2/19新日本フィル定期
( 5)   99/02/24 14:46

先週になりますが、コンサートの感想。

新日本フィルハーモニー交響楽団第279回定期(指揮:岩城宏之)
2月19日(金)オーチャードホール19時30分開演

2月20日が武満徹の命日にあたることを意識したプログラミング。
まず、武満がバッハの鍵盤音楽を愛好していたということで、バッハの
チェンバロ協奏曲第5番。
ついで、湯浅譲二が武満のかわりに作曲した「ヴァイオリン協奏曲」。
最後に武満と交際があったリゲティの「レクィエム」。

バッハのお目当ては、私にとっては実演鑑賞が初めてになるチェンバロの
曽根麻矢子さん。いやー、写真通りの美人であるだけでなく、演奏にも
感心しましたが、なにしろホールが大きすぎて、音楽が伝わらない。もっと
狭い場所で聴きたいというのが正直なところ。

湯浅は、初演を聴き逃して悔しい思いをしていました。本日の独奏は初演時の
堀米ゆずこさん。うわさ通り、湯浅の音楽がすっかり優しくなってしまって
いて、個人的には刺激不足。ただ、この曲は評判がいいようですね。現代音楽
入門に好適、といったところでしょうか。

最後のリゲティの「レクィエム」。当夜の白眉は、合唱を務めた「栗友会」でした。
解説の渡辺氏は、20世紀の音楽ベスト3の一つにこの曲を挙げるほど
評価しておられます。私には、そこまでの判断ができる見識はありませんし、個人
的には、ベスト3はどうかなあ(渡辺氏が迷ったというペンデレツキの「ルカ
受難曲」の方がいいと思う)というところです。
栗友会といえば、昨年ヘンツェの交響曲第9番の日本初演でも合唱を務めましたが、
私は都合で聴けませんでしたし、そもそも作品の評判に否定的なもののほうが多かっ
たように思われます。
ということで、曲の評価はずっと固まっているリゲティですが、それにしても合唱は
素晴らしかった。私もアマチュアで合唱をやっているわけですが、アマチュアの
合唱団でここまでの表現ができたことに、誇りを覚えました。たとえば非常に
皮相的な話ですが、ごく普通のオーケストラ付き合唱曲(モーツァルトやバッハなど)
をやった場合でも、楽器と合唱のピッチが違うことが、日本(いや、世界的にも
そうですが)の合唱団の場合は、ままあるわけですが、今回のリゲティのような
難曲で、楽器のピッチと合唱が寄り添っていただけでも驚異的です。技術的に十分な
水準だっただけでなく、音楽的感興を伝えることにも成功していたように思います。
この曲にはヴェルゴからとてもいいCDが出ているのですが(指揮はギーレン、合唱
はバイエルン放送響合唱団だったと思う)、CDを遥かに上回る感銘を受けました。
私が指揮者なら、栗友会を使って、20世紀の合唱が入る管弦楽曲をたくさん
とりあげたくなるだろうな。
この曲の日本初演の際は、合唱は日本プロ合唱団連合がつとめたそうですが、
栗山文昭氏(そのステージに合唱団員としてのっていたという噂)が率いる
アマチュアの合唱団がここまで成長したわけです。

心を熱くして、帰宅の途につくことができました。

SHELL

ニフティ クラシックフォーラム「演奏会感想の部屋」より
523/523   YQN03111  コマ              RE:2/19新日本フィル定期
( 5)   99/02/25 13:24  516へのコメント

はじめまして。栃木県黒磯市在住のコマと申します。

>新日本フィルハーモニー交響楽団第279回定期(指揮:岩城宏之)
>2月19日(金)オーチャードホール19時30分開演
私も聴きに行きました。午後から仕事を休んでのんびり在来線で3時間近く
かけて行った(びんぼーなもので^^;)のですが、とても幸せな時間を過ごす
ことができました。

>バッハのお目当ては、私にとっては実演鑑賞が初めてになるチェンバロの
>曽根麻矢子さん。いやー、写真通りの美人であるだけでなく、演奏にも
>感心しましたが、なにしろホールが大きすぎて、音楽が伝わらない。もっと
>狭い場所で聴きたいというのが正直なところ。
ド近眼の上、3階席にいた私には曽根さんのお顔まではよくわかりません
でしたが、私の隣席にいらっしゃった男性はオペラグラス持参。ううう、私も
持っていくべきでした。私も狭い場所で聴きたい演奏だと思いました。
そうすれば彼女の楷書のような演奏の美しさをもっと楽しめたと思うのですが。

>湯浅は、初演を聴き逃して悔しい思いをしていました。本日の独奏は初演時の
>堀米ゆずこさん。うわさ通り、湯浅の音楽がすっかり優しくなってしまって
>いて、個人的には刺激不足。ただ、この曲は評判がいいようですね。現代音楽
>入門に好適、といったところでしょうか。
はい。この日の聴衆にはこの曲を目当てに来られた方も多かったようですね。
私個人としてはこの刺激のなさが却って効果的だったように思います。
私の耳が室内化しているということもありますが・・・。
せつない音楽が抑制された独奏で、繊細な動きを楽しむことができました。

>最後のリゲティの「レクィエム」。当夜の白眉は、合唱を務めた「栗友会」でした。
私のこの演奏会の目当てはこれでした。
実は、私は宇都宮室内合唱団ジンガメルの団員の一人、つまりこの栗友会に所属
しています。本来なら合唱団の一員としてステージにのるべきなのですが、那須
という遠方からではなかなか練習に参加できないということもあり、今回は客席
にいたというわけです。
私は身内の人間ですからこの場でコメントをするのもどうかと思いましたが、
今回、この演奏を聴いて自分の中の風景がガラリと変わってしまった、というの
が正直な気持ちです。一言で言って、素晴らしかったのです!
手前味噌で申し訳ないのですが、私は出ていないので許してくださいね。

>栗友会といえば、昨年ヘンツェの交響曲第9番の日本初演でも合唱を務めましたが、
>私は都合で聴けませんでしたし、そもそも作品の評判に否定的なもののほうが多かっ
>たように思われます。
これにはおそれながら私も参加していました。確かにヘンツェの作品そのものは
酷評でしたね。作品の持つ緊張感は他にたとえようがないものですが・・・。
歌っていても、正直なところ息がつまるものがありましたし、メリハリという
面でも今回のリゲティのほうがはるかに聴衆を意識しているように思います。

栗友会ならではの抑制のきいた音楽の良さが出ていたと思います。厚すぎず、
力みすぎず、それでいて存在感は十分。アマチュアでもここまでやれるんだと
思い嬉しくなりました。
今回、宇都宮からも何人かのメンバーが参加していました。身内としては彼らが
どれくらいこの演奏会に向けて頑張っていたかというのを知っているからかも
しれませんが、演奏後栗友会が揃っておじぎをした瞬間涙があふれました。
よくやったという思いと、単なる聴衆の一人としての感動がごちゃ混ぜでは
ありましたが。
アマチュア合唱団員としての誇りが強く感じられ、本当に贅沢な時間を過ごす
ことができました。私も頑張りたいです。

コマ(YQN03111)

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編集:唐澤 清彦 コンサート・レポート