合唱団OMP第14回定期演奏会


■#7119 大ホール 96/ 6/ 3   1:33 (ID:ESJ58203@biglobe.ne.jp)
演奏会>合唱団OMP第14回定期演奏会   ブー
 
合唱団OMP第14回定期演奏会
 
日 時:平成8年6月2日(日)午後3時30分〜
場 所:昭和女子大学人見記念講堂
出 演:合唱団OMP
    指揮  :栗山文昭(2・3)
         宮澤 彰(1)
    演出  :加藤 直(3)    照明:木下泰男(3)
    舞台監督:北村雅則(3)    東 弘英(3)
 
曲 目:1.ハウエルズ/レクイエム
    2.武満 徹 /混声合唱のための《うた》
             明日ハ晴レカナ、曇リカナ
             島へ
             死んだ男の残したものは
             小さな空
             ○と△の歌
             翼
             さようなら
             さくら
    3.柴田南雄 /宇宙について
 
 
 国内の、大学合唱団以外の合唱団の演奏を聴くのは、10年ほど前に東京リ
ーダーターフェルの演奏会を聴いて以来だと思う。
 
 田舎屋オフで、ココさんから自由席券を2枚分けてもらった後で、やっぱり
指定席にしておけばよかったかな〜と思ったことがあった。しかし、当日来て
みると、指定席の指定範囲が意外と狭い。人見記念講堂に行ったことのある人
ならわかるかもしれないが、1階客席の前半分と後半分の間に広い通路がある。
この通路を挟んで後半分の部分の一番前の(つまり広い通路に面した)列の、
右側のブロックに席を獲ることができた。え?わかんないって?よし図を描こう。
 
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 この★のところが私の席。となりはうさぎ。なぜここを獲ったかというと、
柴田南雄作品、しかも「宇宙について」というシアターピースがあるからであ
る。当然メンバーが客席に乱入するはず。それならば、なるべく接近している
ところのほうが面白いとの目算である(実際にあそこまで凄いことになるとは
思わなかったが(^_^;))。
 
 1曲目は、ハウエルズのレクイエム。ハウエルズというのは20世紀イギリ
スの作曲家ということであるが、曲はもちろん作曲者の名前も、今回が初耳で
あった。
 
 声がとてもよく出ていた。しかもパート間のバランス、パート内の統一がよ
くとれているからであろうが、響きがとても美しく、しかも弱音になってもそ
れが崩れない。
 
 自分の「当たる音域」だけを強く歌うのは簡単である。そうでない音域を、
音量を押さえながらも如何に息を通して唄うか...この難題をかなり高いレ
ベルでクリアしているとみた。
 
 
 2曲目は、武満徹の《うた》。ステージ衣装は、ややリラックスしたものに。
CLAコンで歌うことになってから、何度もCDを聴き、譜読みをしたので、
とても親しみのある曲になった。
 
 栗山先生を生でみるのは、15年ぶり位だろうか...石橋メモリアルホー
ルでの「知ら名」で千葉大学合唱団を率いての演奏のときだった。だから、ス
テージに登場したときも(あれっ。あんな顔だったかな...)というのが第
一印象であった。そらま〜、当時は私だって大学3年だったんだからあたりま
えだが。
 
 演奏は、たっぷりと「間」をとった馥郁たるものであった。特に心にしみた
のが、「死んだ男の残したものは」と「小さな空」。「小さな空」はゆったり
と、空を見上げながら歌っているという感じ。特にハーモニーが奇麗だった〜。
 
 病気云々は別にしても、指揮ぶりは、15年前とはかなり変わったように思
えた。昔は、もっとガンガン鳴らすという印象だったのだが...
 
 
 3曲目は、柴田南雄の「宇宙について」。柴田南雄といえば、「萬歳流し」
「追分節考」「念仏踊り」など、いわゆる「シアターピース」が思い出される。
今回の「宇宙について」は、演出・照明等、「動き」にも優れたスタッフの助
力を得ていることから、果たしてどんなステージになるのか。
 
 緞帳があく。正面にスクリーン。「宇宙について」という文字が浮かぶ。そ
れからは、不思議な世界。あるときには、ごくごく普通のスタイルの合唱曲が
あらわれたかと思うと、また前衛的な響きの歌が聞こえたり。
 
 そして、ろうそくのようなペンライトを手に、メンバーが客席に降りてくる。
「祈り」というにはあまりにおどろおどろしい響きの声が客席に満ちてくる。
 
 私の席は、左と前が通路に面している。いきなり、5人が私の前に立ち、何
やら唱えはじめる。これが萬歳だったら、おひねりを渡すところだが、どうも
そういう雰囲気ではない(^_^;)。「あなたの健康と幸せを祈らせて下さい」と
いうのに捕まったような感じがしないでもない(笑)。しかたなくじっと身を
凝らして、通り過ぎるのを待つ。
 
 しばらくして、再び私の席の前に、小さな一群ができる。究生さんがいる。
そしてスポットがあたり、私の前の一群が、踊りながら歌い出す。しばらくす
ると、静かになり、またしばらくすると歌い出す。
 
 やがて、客席内を大きく円を描きながら歌い歩く。「歩く」といっても、か
なり、速い。一人一人の声を聴いていたが、よく息切れせずに歌えるものだと
感心した。
 
 真っ暗になり、ピンスポットが栗山先生を照らす。拍手が鳴り響く。誰も座
っていない椅子に花が供えられる。柴田南雄先生にささげられたものだろう。
アンコールは、「遺作」とスクリーンに表示されている。ということは、「無
限曠野」だろうか。
 
 それにしても、武満・柴田という優れた作曲家を相次いで失った悲しみが、
演奏が素晴らしければ素晴らしいほど強くなるというのは、実に皮肉なもので
ある。
 
 次回は来年の11月ということであるが、叶うことならコダーイの合唱曲を
聴いて見たいと思う。
 
 
 
                                                 Λ  Λ
                                                (^Θ^)
                    PC-VAN: ESJ58203   ブー
 
 ======================= 1996/06/03(Mon) 01:21:42 ====================
 
■#7120 大ホール 96/ 6/ 3   6:39 (ID:EFB09241@biglobe.ne.jp)
演奏会>合唱団OMP定期演奏会    ゆいきん
 
友人に誘われて、ほぼ一年ぶりに合唱の演奏会に行った。
『宇宙について』(柴田南雄)が上演される、ということもあった。
大変印象に残る演奏会だった。以下に感想をまとめておきたい。
 
 実に久しぶりに、大きなホールでの演奏会に出かけた。友人と新宿で待ち合わせ、
その後、三軒茶屋の昭和女子大学人見記念講堂へ。
 チケットを入手し、ホールの中へ。一階中央後方に席を取るが、ほぼ満員の盛況。
 かつて合唱団で共に活動した仲間数人と、ほとんど10年ぶりで出会う。高名で
実力のある合唱団のためか。もっとも、私自身は、生でOMP合唱団の演奏を聴くの
は、これまた10年ぶりくらいだろう。
 
第一ステージ:レクイエム(Herbert Howells)
 CDでミサ曲は聴いた覚えがあるが、レクイエムは初めて。密集した和音、極端
なドラマ性を避けた音楽の中庸な運びは、いかにも国教会系の作曲家(確かめたわ
けではないが多分そうなんだろう)という印象。プログラムによると部分的に8声
部になるそうだが、二群の合唱を対比的に扱うようなところはないように思えた。
最後の和音を支えるバス声部が「低い音をがんばって出してるなぁ」と思っていた
ら、曲が終わってしまった……。もう一つ感じたのは、この合唱団のフレージング
の長さ。まさしく驚異的。
 
第二ステージ:混声合唱のための《うた》より(武満徹)
 「濃い演奏」だったように思う。一曲ごとに「ことば」を大事にし、そして卓越し
た技法で豊かに「ことば」の内実を描いていく、というような。
 たとえば『島へ』の「〜であえる[でしょうか]」の音色変化。『死んだ男……』
で何度か出てくる「ほかにはだれも〜」ということばの、曲の前半と後半での意味づ
け方の差。あるいはテンポその他による前後半の「情感のはげしさ」の相違。(その
ためなのかどうか、終止和音で、降下する第3音をややはずしたように思えたが)
 しかし、正直に言うと、『さようなら』あたりから、なんというか、ぐったりとし
てしまった。決して演奏が悪いわけではない。指揮者のうごきに敏感に反応し表情豊
かに曲を紡いでいくさまは、1ステージ以上に「驚異的」だった。
 むしろ曲そのものの性格のためではないだろうか。
 
 もともと、ほとんどの曲がアンコールピースとして書かれたもので、統一したテー
マなり、全体としてある像を結ぶというような類の曲たちではない。全部を通して聴
くと、ある種「ワンパターン」的に聴こえてきてしまう。まして、たとえば『○と△
の歌』なんかは、いくつものパートに分かれて合唱で歌うよりも、原っぱの土管に座
って一人で口笛でも吹きながら歌ったほうが似合うんじゃないか、と思わせるような
つまりAirじゃなくてSongなんじゃないかという気がする
 いさぎよい「うすさ」がにあう曲というのはあってそれを合唱で表現するのは難
しいんじゃないか、と改めて感じた
第三ステージ:『宇宙について』(柴田南雄)
舞台の正面右手上方にスクリーンが用意されていた。そこに青空が映しだされた瞬間に
隣の席の友人とワタクシは「win95!」と同時につぶやいてしまった(苦笑)
 閑話休題。
合唱団OMPの実力と志向性が十全に現れた、素晴らしい上演だったと思う。
 手元に楽譜がないのではっきりしないが、1〜3章までは、通常の(つまり舞台
の雛壇にのっての)演奏形態もとれるはずである。しかしあえて最初から合唱団員を
通路に配して(3群、あるいは4群?に分かれていただろうか)オルガヌム・ホケト
ゥス等々、西洋音楽技法の追体験が始まっていく。確信に満ちた豊かな声量に支えら
れた音楽からはアンサンブルの乱れなどほとんど聴こえない。個々の音楽的表現力の
飛び抜けた高さ。それがステージ上に集結した3章では、圧倒的・強圧的な「音響建
築物」であるヨーロッパ音楽を見事に象徴する。そして、4章においてそれが崩れて
いくさまもまた、見事なものだった。(舞台を降りていく団員たちの声が、西洋音楽
一辺倒にたいする嘲笑のように私には聴こえた)集団としての「整列の在り方」が、
あれほど「ものを言う」ものなのか。シアターピースが視覚を伴った表現であること
を再認識させられた。
 「おらッしャ」の祈りを経て(ここでの小集団の巡礼のような動き)、効果的に打
楽器が使われていた「諸民族の祈り」(インドグループで使われていたのは、あれは
リズムボックスか?)、そして「しばた山」。
 指揮者が導唱し、それに続いてユニゾンが会場に響くのを聴いたとき、目頭が熱く
なるのを禁じえなかった。
 
 合唱団員は、あるときは雛壇に整列し、あるときは完全に一人の状態になり、小集
団に分かれ、あるいは(輪を描くような)方向性を伴った動きをする。音楽もそれと
同様、堅牢な「音響建築物」からミニマムな祈りまで、そして完全なカオス(混沌)
状態にも至る。
 個人の飛び抜けた音楽的表現力がなければ、もとよりこの作品の上演は不可能だと
思う。しかし、今回の上演を支えたのは、それだけではない気がする。
 柴田氏の思い描いていた「音楽とは何か、今何のために音楽するのか」を探究する
姿勢と、「合唱(劇)による表現の可能性を探究する」という演出者(おそらく、
指揮者も、合唱団全体もそう志向しておられるのだろう)の姿勢とが一致し、あのよ
うな見事な表現になったのではないだろうか。
 
 アンコールは、たぶん『無限廣野』の終結部分(第5曲、6曲)。
「てんのうへいか」「首のない(体?)」というテキストが飛び交い、シュプレッヒ
シュティンメ、というより「語り」そのものなのだろうか、声が舞台上から迫ってく
る、合唱団員もせりだしてくるような動きをし、そして、唐突に終わる。
 「ふつう」に、初期の混声合唱曲を歌って演奏会を閉じることもできただろうに、
なぜ、ある意味で中途半端な抜粋、しかも、というか、しかしというか、内容として
はきわめて重いテーマをもつ曲の抜粋を演奏したのだろうか。そもそもあれは「アン
コール」だったのだろうか?
 
 外に出て、久しぶりにあった仲間と話をする。
「めんどくさがらずに聴きに来てよかっただろう」と問われる。
 たしかに。今日は、大きなホールでの終演後感じる「消費者としての空しさ」を感
じることがなかった。感謝したい。
                                ゆいきん
 
■#7126 大ホール 96/ 6/ 4  23:11 (ID:MWM06676@biglobe.ne.jp)
演奏会>合唱団OMP定演  96-30        モー
 
 ためにならない感想も一つぐらいあっても良かろう。
 
 どうやら「キレる」合唱団だということがわかったので、オペラグラスを持込み
とにかく観察することにしました。見てもわかんなかったけど(^_^;
 
 ハウエルズは、東京カンタートと比較すると、求心力に欠ける演奏だったように
思いました。とても同じ合唱団とは思えない。でも東京カンタート'96を聴いた甲斐が
あったからまあいいや(^_^;
 
 武満になってようやくOMP登場という感じ。この求心力!
躾の悪い子供の騒音に苦しめられながらも、一所懸命聴きました。
 こういう演奏は一期一会。録音では入らないナマの音を気合いを入れて
吸収するのみです。
 「翼」では空を舞う翼が一瞬見えました。「自由」という言葉の卑俗ときたら!
 
 「宇宙について」は、なんだか凄いモンを見てしまったような・・・
この場合、作曲家というよりも、演出の加藤直の功績が大きいような気がします。
 合唱としては、個々の人がむき出しになるだけに、もうちょっと練って欲しかった
です。歌でなく祈りに聞こえるぐらいに。
 
   モー(MWM06676)
 
■#7131 大ホール 96/ 6/ 5  21:50 (ID:NKE44364@biglobe.ne.jp)
演奏会>合唱団OMP第14回定期演奏会      からから!
 
 曲目などは#7119のブーさんのメッセージを参照して下さい。
 
 今日までにSIG内外の色々な方の感想を読んで相当混乱してきました(笑)
 中には、私宛に(OMPのホームページから)メールで感想を下さった方もいて、
ホームページも少しはコミニュケーションの役に立つなあと感心している次第。
 頭の中には色々な気持ちが回っているのですが、その場のリアルタイムに受け
止めた気持ちを中心に今回の演奏の感想を書かせていただきたいと思います。
 
●ハウエルズ/レクイエム
 私が座ったのは中央通路のすぐ後ろ、ステージに向かって右手のブロックの
角の部分でした。ステージはちょっと遠い印象。
 それにしても、東京カンタート(なかのZERO)での演奏との聞こえ方の違いには
まいってしまいました。わりと近くに座っていましたし。
 なかのZEROでの演奏が「響きに包まれるような感じ」だったのに対し、人見記
念では音をたぐり寄せながら聴かないと集中力がとぎれてしまう感じ。
 入れ物と曲の相性をこんなに感じたのも珍しい体験でした。
 演奏そのものは、どちらも素晴らしく緻密な印象を受けました。
 
 一曲だけを歌う演奏会と、長丁場のステージの第一曲であることの違い、ある
いは指揮者の違いというものが、演奏の違いになっていたのか…ということは良
く分からないのですが、「有るかも知れないな」という程度の印象です。
 まあ、なかのZEROでは他の合唱団の演奏も「え、こんなに分厚い音が?」と
思ったので、ひたすら、入れ物の威力によるのかも。
 
●武満 徹 /混声合唱のための《うた》
 明日ハ晴レカナ、曇リカナ/島へ/死んだ男の残したものは/小さな空/
 ○と△の歌/翼/さようなら/さくら
 
 最近CLAコンで歌ったので、聴く側の思い入れも強い状態です(笑)
 また、東混、晋友会、石川セリのCDは飽きるほど(でも飽きないなぁ)聴
いたので(私に限らず)なにがしかの聞き手の好みが出来上がっている曲ですね。
 
 全体をひとことで言い表すならば、
 「これはもう、歌ではない。『ことば』そのものだ」
 
 しかし、私はこれをとても楽しんで聴きました。
 歌の『ことば』化を突き詰めて考えると、何のための歌か、何のための合唱か
という問題に突き当たりかねない危険な道かも知れません。例えば、OMPの合
唱と、石坂浩二の語りと、どちらが「島へ」を語るのか。もしかしたら森本レオ
なんか意外に合うのじゃないだろうか?なんて考えると、これはこれで面白い。
 
 危ない危ないと思いながらも、この演奏を楽しんでしまうのは何だろう。
 「死んだ男の…」などは、匿名の、無名の無数の叫び声を一人の男、一人の女
に写している曲だから、合唱という表現形式を取る必然性がとてもあると思いま
す。
 でも、他はそもそも曲の柱が「ことば」で出来ているのかも知れません。
 
 武満さんが最近作った「Famly Tree」という作品は、もともと放送のための
作品ですが、オーケストラと語りのための音楽で、私はこれを聞いてとても感銘
を受けたのですが、そういう武満氏の音楽の「響きと言葉の分離の実験」みたい
な物を聞くと、合唱というのは言葉を伝えるためには効率の悪い手段だという
か…
 良く分からないけれど、もやもや考えてしまうわけです。
 
 武満さんは自分でも詩を書いているわけだし、晋友会のCDのようにひたすら
響きを積んでいくやり方も有れば、「ことば」に音楽を寄り添わせるやり方もあ
る。
 説得力とか、インパクトは「ことば」に軍配が上がったように思うけれど、
合唱としてこの道を行くのは大変なことだと思う。武満のこの曲だからこそ、
このステージが出来たのかとも思う。
 音楽をことばに従わせる結果生じた演奏上のホツレ(縦の線の崩壊)でさえ楽し
んでしまえる、この演奏の説得力は大きい。
 音楽としてはいくらでも批判的に聴くことも可能だろうが、しかし思わず引き
込まれてしまうこの強さは否定できないだろう。
 
 もちろん、石川セリの「うた」を聴いたショックも私たちにとって大きいと思う。
 武満の「うた」をあんなふうに歌っても良いんだという自由を、武満本人の
お墨付きで聴かされたわけだから。
 
                                ----*----
 
 これらの曲の中で唯一「さくら」だけは、響きそのものが、さくら色の霞の
ように空間を埋めていってこそ価値のある音楽だと思う。
 
 …けど、中央通路の少し後ろにいたお行儀の悪いお子さまが口を開けて
くちゃくちゃとガムをかむ音、居眠りしている客がチラシの入ったビニール袋
を落とす音に邪魔されて、まったく音楽どころではなかった。
 保護者はなんで注意をしないのかというイライラもつのって、あたり一帯の
客は演奏中何度もチロチロと冷たい視線を送ったのだが…
 私も、演奏中に「このステージが終わったらどうやって穏便に注意してくれ
ようか」なんてことを考えはじめてしまったので、かなり悲惨であった(^^;;
 3部の前にお子さまは自主退場して下さったので、対決しないで済んだけれ
ど…。
 指定席を買っているお客さんは、たいてい団員の友人知人親類縁者だと思う
のですが、チケットも考えて売って欲しいなあと思うし、日頃演奏会になじみ
のないお客さんには、演奏会マナーを教えてあげる必要もあると思う。
 入り口でもらうチラシの束を鞄に入れるか、椅子の下に片づけるだけで、
演奏会場はず〜っと静かになるのに。
 
 まあ、こういうことは次回に期待するとして、ちゃんと「さくら」を聴きた
かったな〜しくしく
 
                                ----*----
 
 さて、本題に戻る。
 書き忘れていたけれど、武満のステージでは、ハウエルズを聴いて感じた会場
の音響についての物足りなさは微塵も感じなかった。十分に厚いし、音はバンバ
ン来る。不思議ですねえ…。
 
 
●柴田南雄/宇宙について
 OMPとその他の栗友会の合唱団によるシアターピースはもういくつも見まし
たが、これほど会場を縦横無尽に使う演出は(私は)初めて。それだけに、期待も
大きい(^^)
 それから、東京六大学混声合唱連盟の合同演奏の為の曲と言うことで、今回の
演奏は全然人数が少ない。ここが不安。
 
 そこでまず、シンプルな感想。
 なにしろ美しい演出でした。
 「初めに、宇宙は水であった」…あふれる水のイメージ。音と、光で会場に水
が満ちあふれる。ブルーの照明とスモークは「それはちょっと直接的でないか?」
と思わんでもないが、何しろ美しいのだから仕方がない。
 柴田山の栗山先生の導唱は、一瞬、神の様に見えましたね。(あぶないあぶな
い(笑))
 そしてとにかく楽しかった。
 満足した。
 
 シンプルじゃない感想。
 OMPは、…というより、加藤直は、いよいよ新しい表現の開拓に向けて本気
になったと見える。
 プログラム冊子の氏の挨拶文のタイトルは「歌と劇についての序」だ。
 この「序」という言葉は、演奏会に寄せる序(文)でもあるが、加藤氏は、これ
からのOMPとの創作活動への「序」であると、この演出作品について言ってい
るようにも見える。
 
 「宇宙については」素晴らしいエンタテイメントで有ったが、人の心にぐいぐ
いとねじ込んでくるような、そういうパワーが今回希薄であった。
 集団の合唱のなかのソロ(セリフ)の部分はとんでもなく高いテンションを持っ
て心に飛び込んでくるのに、小集団に分散してしまうと集中力も散ってしまうよ
うな所がある。
 実は演奏中に私の視野の中で二人ほど、そそくさと席を立った人が居たの
で、十分作品としてのインパクトはあったと思うのだけれど(苦笑)、私が私でな
くなって、作られた空間が本物の時空、諸民族の祈りの場に変容していくような
幻惑を感じたかったのだが、そこまでには至らなかった。
 
 もっとも、作曲者、柴田氏がそのような劇的空間を狙って曲を書いたかどうか
は分からない。生前の言葉を拝見する限りは、合唱作品としての歌の部分へのこ
だわりのみ感じるのだが。
 
 しかし、私は加藤直演出だから期待してしまう。
 演奏会ではない、諸民族の祈りの歌や、いくつもの歴史が折り重なって現れる
パラレルワールドの出現を。
 おそらく、演出家も狙いはそこでしょう。暗闇の中にスポットライトで浮かび
上がる空間は一つの切り取られた時空を表しているのではないかな?
 
 おそらく300人からの大合唱ならば、諸民族の集団も通常の合唱団一つぶんく
らいにはなるから、普段通り歌うだけでも大変な音響になる。だから今回の演奏
では全く違う表現にならざるを得ない。
 その時に必要なのは何でしょうか…
 
 加藤直といえば、こんにゃく座、黒テント、などの歌芝居の演出で有名。
 私も何度か見に行きましたが、限られた人数の役者、限られた数の楽器で仰け
反るほどに濃密な芝居を見せてくれます。
 加藤氏が演出をするということは、OMPは合唱界の「黒テント」のパワーを
期待されると言うことではないかと思います。実現したらこれは面白い!
 ミュージカルでもない、オペラでもない、もちろん「演出付き合唱」
でもない、劇的な何物かが出来るような期待がある。
 
 ますます一人ひとりの力が大切になっていくということでしょう。
 
●無限廣野
 追悼曲としての演奏。
 素晴らしかったです。
 「宇宙について」のように色々考える必要もない強靱な響き。
 OMPの持っている良い部分が遺憾なく発揮されたと思います。
 
                                 ----*----
 
 追悼曲の演奏に先立ち、生前先生の愛用していた椅子に花が捧げられました。
 そこに柴田先生がいるような…、やはり寂しいような、何とも言えない気持ち
がいたしました。
 
 次回につながる予感のする、良い演奏会でした。
                                                          からから!
 
■#7132 大ホール 96/ 6/ 6   0:25 (ID:mizue-h@mtg.biglobe.ne.jp)
演奏会>OMP第14回定期>RES(1)       究生
 
 ブーさん、ゆいきんさん、ありがとうございました。
 
●ブーさん
>指定席の指定範囲が意外と狭い。人見記念講堂に行ったことのある人
>ならわかるかもしれないが、1階客席の前半分と後半分の間に広い通路がある。
>この通路を挟んで後半分の部分の一番前の(つまり広い通路に面した)列の、
>右側のブロックに席を獲ることができた。
 
 あんないい場所をとるとは、もしかして開場前から並んでたんですか?
 
>当然メンバーが客席に乱入するはず。それならば、なるべく接近している
>ところのほうが面白いとの目算である(実際にあそこまで凄いことになるとは
>思わなかったが(^_^;))。
 
 わはははは〜、お楽しみいただけましたでしょうか。
 
>「あなたの健康と幸せを祈らせて下さい」というのに捕まったような感じが
>しないでもない(笑)。
 
 それはレセプションで池辺晋一郎氏にも言われました(^^;
 
> しばらくして、再び私の席の前に、小さな一群ができる。究生さんがいる。
>そしてスポットがあたり、私の前の一群が、踊りながら歌い出す。しばらくす
>ると、静かになり、またしばらくすると歌い出す。
 
 オルフェオにも書きましたが、あのやかましい集団のそばでは、他の民族の歌が
聞こえなかったのではないかと思いました。どうも失礼しました。(__)
 
>「歩く」といっても、かなり、速い。一人一人の声を聴いていたが、
>よく息切れせずに歌えるものだと感心した。
 
 息切れしてましたよ(^^; あれは団内指揮者・宮澤氏の普段歩く速さなのですが、
「アンダンテ」とは言い難い(^^;;
 
>誰も座っていない椅子に花が供えられる。柴田南雄先生にささげられたものだろう
 あの椅子は、柴田先生が生前に使っておられたのをお借りしてきたものでした。
 花を置いた時に予想もしないほどの拍手が起き、なかなか鳴り止まなかったのは
嬉しかったです。意図をわかっていただけて。
 
>アンコールは、「遺作」とスクリーンに表示されている。ということは、「無
>限曠野」だろうか。
 
 はい、「無限曠野」から「小垣内(おかきつ)の」と「大白道(だいびゃくどう)」
でした。アンコールでなく、柴田先生へのオマージュというつもりでした。
 
 
●ゆいきんさん
> もともと、ほとんどの曲がアンコールピースとして書かれたもので、統一したテー
>マなり、全体としてある像を結ぶというような類の曲たちではない。全部を通して聴
>くと、ある種「ワンパターン」的に聴こえてきてしまう。
 
 組曲ではないので、どういう順に演奏してもいいわけですが、今回あえて同じ音
で繋がるように組んだと指揮者の栗山先生が言っていました。たとえば、一曲目の
「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」の最終和音と二曲目の「島へ」の最初の和音は殆ど
同じです。また、三曲目の「死んだ男の残したものは」と四曲目の「小さな空」も
同様で、しかも旋律の動きが似ています。普通はしないそういう曲順を「わざと」
やったということでしたが、それが裏目に出てしまったのでしょうか?
 
> いさぎよい「うすさ」がにあう曲というのはあって、それを合唱で表現するのは難
>しいんじゃないか、と改めて感じた。
 
 そうですね。いかに粋に歌うかというのに私達も苦心しましたが、やはり難しかっ
たです。
 
> 舞台の正面右手上方にスクリーンが用意されていた。そこに青空が映しだされた瞬
>間に、隣の席の友人とワタクシは「win95!」と同時につぶやいてしまった(苦笑)
 
 やっぱり(^^; 私達もリハーサルのときに言ってました。
 
> 柴田氏の思い描いていた「音楽とは何か、今何のために音楽するのか」を探究する
>姿勢と、「合唱(劇)による表現の可能性を探究する」という演出者(おそらく、
>指揮者も、合唱団全体もそう志向しておられるのだろう)の姿勢とが一致し、
 
 後者もそうですが、前者がまさに今回私達の表現しようとしていたものでした。
 
> 「ふつう」に、初期の混声合唱曲を歌って演奏会を閉じることもできただろうに、
>なぜ、ある意味で中途半端な抜粋、しかも、というか、しかしというか、内容として
>はきわめて重いテーマをもつ曲の抜粋を演奏したのだろうか。そもそもあれは「アン
>コール」だったのだろうか?
 
 前にも書きましたが、"アンコール" というのとは違いました。
 "オマージュ" ということで、追悼の意を込めて選んだ曲だと思います。
 
                        究生
 
■#7140 大ホール 96/ 6/ 9  23:35 (ID:ESJ58203@biglobe.ne.jp)
Re#7132>OMP追加レス等                      ブー
 
●究生さん
》あんないい場所をとるとは、もしかして開場前から並んでたんですか?
 いや〜到着したのは開場と同時くらいでして...
 皆さん、どこが自由席でどこが指定席か、最初よくわかんなかったみたいで
した。ロビーに張ってあった案内図で見たら自由席になってたんで突進したら
あっけなくとれまして(笑)。
 
 先のMSGに書き忘れましたが、しばた山のところの、栗山先生のソロとい
うか先唱というか...よかったですね。
 
 
 
                                                 Λ  Λ
                                                (^Θ^)
                    PC-VAN: ESJ58203   ブー
 
 ======================= 1996/06/09(Sun) 22:50:44 ====================
 
■#7153 大ホール 96/ 6/13  21:19 (ID:ETN19816@biglobe.ne.jp)
RES>合唱団OMP定期演奏会 ココ
 
●ゆいきんさん
 はじめまして。OMPでソプラノを歌っているココと申します。
 コンサートにお越しくださってありがとうございました。
 
> いさぎよい「うすさ」がにあう曲というのはあって、それを合唱で表現するのは
>しいんじゃないか、と改めて感じた。
 栗山先生の指揮はいつも濃いめですが、あの日の指揮は特に濃かったと
 私は思います。
 「うすさ」についてはおっしゃるとおりで、どうしても大人数で歌うと
 濃くするのはできてもしゃれたうすさはなかなか出ませんね。でもそれだけでは
 なくて、とにかく私たちはおしゃれなうたが歌えないなあ、と練習のときに
 力のなさを痛感しました。
 
>飛び抜けた高さ。それがステージ上に集結した3章では、圧倒的・強圧的な「音響建
>築物」であるヨーロッパ音楽を見事に象徴する。そして、4章においてそれが崩れて
>いくさまもまた、見事なものだった。(舞台を降りていく団員たちの声が、西洋音楽
>一辺倒にたいする嘲笑のように私には聴こえた)集団としての「整列の在り方」が、
>あれほど「ものを言う」ものなのか。シアターピースが視覚を伴った表現であること
>を再認識させられた。
 そこまでわかっていただけたとはうれしいです。
 第4章ではステージの階段のすぐ前で歌っていましたが、団内指揮者のMさんが
 階段の前まできて振り返り「ほ!」といってから客席に降りていったのは
 本当に嘲笑に聞こえて、自分もいずれ見捨てて降りていく立場でありながら
 思わず歌いながら腹を立てておりました。
 
> 「おらッしャ」の祈りを経て(ここでの小集団の巡礼のような動き)、効果的に打
>楽器が使われていた「諸民族の祈り」(インドグループで使われていたのは、あれは
>リズムボックスか?)
 実際の打楽器を使っていたのは1グループしかなかったはずです。
 踊りながら歌っていた一番目立つグループでしたら、あれは人の声ですよ。
 
●ブーさん
> この★のところが私の席。となりはうさぎ。なぜここを獲ったかというと、
>柴田南雄作品、しかも「宇宙について」というシアターピースがあるからであ
>る。当然メンバーが客席に乱入するはず。それならば、なるべく接近している
>ところのほうが面白いとの目算である(実際にあそこまで凄いことになるとは
>思わなかったが(^_^;))。
 よかったですね、しかもすぐそばに一番すごいグループが来て。
 (私たちのグループはオケピットで地味に盛り上がっていました)
 
> 自分の「当たる音域」だけを強く歌うのは簡単である。そうでない音域を、
>音量を押さえながらも如何に息を通して唄うか...この難題をかなり高いレ
>ベルでクリアしているとみた。
 私の場合、当たらない音域だと逆に音量を落とさないようにするのに
 苦労しています。
 
> 病気云々は別にしても、指揮ぶりは、15年前とはかなり変わったように思
>えた。昔は、もっとガンガン鳴らすという印象だったのだが...
 <うた>はならす曲ではないですしね(少なくとも今回そういうふうには
 作らなかった)。ならす曲ならたぶんまた違う指揮になりますよ。
 
>「祈り」というにはあまりにおどろおどろしい響きの声が客席に満ちてくる。
 なんか、おどろおどろしさだけを強調した演奏になったような気がして
 なりません。この次はもっと祈りが感じられるようにしたいです。
 
●からから!さん
> なかのZEROでの演奏が「響きに包まれるような感じ」だったのに対し、人見記
>念では音をたぐり寄せながら聴かないと集中力がとぎれてしまう感じ。
<中略>
> 一曲だけを歌う演奏会と、長丁場のステージの第一曲であることの違い、ある
>いは指揮者の違いというものが、演奏の違いになっていたのか…ということは良
>く分からないのですが、「有るかも知れないな」という程度の印象です。
 私が思うには、ほかにも長いステージが二つもあるのが主な原因です。
 本番なれしている人たちが多いので、ペース配分を考えて、しかも
 「後半追い込み型」をとる人たちが多いのです。「前半逃げつぶれ型」
 が半分くらいいてくれれば、バランスが取れるのかも知れないけど、
 私もそれは怖くてできません。
 
 でもこれって、どちらかというと集中力の問題でしょうか。
 歌っていてもなかのZEROのときより集中できなかった感じがします。
 2ST、3STが不安だったせいかな。
 
> 全体をひとことで言い表すならば、
> 「これはもう、歌ではない。『ことば』そのものだ」
 歌とことばの関係は難しいですねえ。
 私なんかは歌にはことばが必要だと思うので(じゃあヴォカリーズや
 ハミングは歌じゃないのかといわれると困るけど)、ことばとその
 語感やことばに絡まる思いなんかを伝えることのほうを優先したく
 なりますが、優先し過ぎると音の立場がなくなって、歌ではなくて
 語りになってしまう…どうも自分で書いていてもわかりにくいですが
 とにかく難しいです。
 
 でも歌の中にも、ことばを最優先するのと音やメロディーラインのほうに
 重点をおくべきものとがあるのはなんとなくわかります。
 どうも私たちはその点不器用で「歌い過ぎ、もっとしゃべれ」「もっと歌え」
 と曲が変わるごとに注意されっぱなしでした。
 
> 指定席を買っているお客さんは、たいてい団員の友人知人親類縁者だと思う
>のですが、チケットも考えて売って欲しいなあと思うし、日頃演奏会になじみ
>のないお客さんには、演奏会マナーを教えてあげる必要もあると思う。
 いるんですねえ、そういう人。対策検討の必要がありますね。
 
> 「宇宙については」素晴らしいエンタテイメントで有ったが、人の心にぐいぐ
>いとねじ込んでくるような、そういうパワーが今回希薄であった。
<中略>
>くなって、作られた空間が本物の時空、諸民族の祈りの場に変容していくような
>幻惑を感じたかったのだが、そこまでには至らなかった。
 むむむ、残念。
 以前#5-1で似たようなことを書いた覚えがありますが、特にこういう演出つき
 合唱なんかで必要な表現力は、経験を積む(人生経験も含めて)ことによって
 身につくように思います。OMPは全体としては経験を積んでいるほうですが
 個人にばらすとすごく積んでいる人から全然積んでない人まで差が激しく、
 それがもろに伝わってしまったのでしょう。
 もちろん練習はけっこう重ねましたが、どうしてもお客さんのいるステージに
 来てみないとわからないこともあって。経験を積んだ人だと、その辺も何となく
 勘でわかるようですが。
 
●モーさん
 いえいえ、ためになる感想です。
> 合唱としては、個々の人がむき出しになるだけに、もうちょっと練って欲しかった
>です。歌でなく祈りに聞こえるぐらいに。
 朗々と聞かせられるくらいに歌うのと、祈りとが、どうも今回は両立
 しませんでした。きっとキレ方が足りなかったのでしょう…。
 
 「宇宙について」はやっぱり難曲です。少なくとも、練習のわりに身につかない
 曲でした。
 
 でも「曲でした」で終わるわけにはいきません。シドニーにいく前に、もう一度
 千葉県柏市で7/7に宇宙についてを演奏しますので、その際にはより楽しい
 演奏ができればと思っています。
 
 皆さんありがとうございました。
                         ココ
 
■#7156 大ホール 96/ 6/15   9:49 (ID:CLASSIC4@biglobe.ne.jp)
演奏会>れす>ココさん             モー
 
 わーいココさんだ(^^)
 
 演奏会の前後で、こういう風に演奏会にまつわる色々な物事を書いていただけると
一つの演奏会の印象が何倍にも膨らんでいきますので、今後もいろいろ書き込んで
いただけると嬉しいです。
 
 「うすさ」については、私も感じました。鷲橋さんもオフで「セリ以前、セリ以後」
と仰っていましたが、あの1枚のCDで随分曲の印象が変わりました。
 ただ、怪鳥さんがいらっしゃるので申し訳ないですが、晋友会のCDよりは
うすかったかなぁとは思っているんですが。
 
 「宇宙について」は、贅沢を言わせてもらえばどういう曲かについて
事前情報をもうちょっと流して欲しかったです。
 
> 千葉県柏市で7/7に宇宙についてを演奏しますので、その際にはより楽しい
 
 コンサート情報には載せないんですか?
 
   モー
 
■#7158 大ホール 96/ 6/15  10: 4 (ID:GXH73005@biglobe.ne.jp)
RES#7156>モーさん               怪鳥
 
私に気兼ねなく言っていただいて結構ですが、OMPの演奏会での
「うた」は率直に言って濃すぎたように思いました。いかにも栗山
先生らしくそれもアリかなとも思ったのですが。濃い、というかネ
バリかもしれません。ところで晋友会のCDってそんなに「濃い」
ですか?
 
■#7179 大ホール 96/ 6/20  21:30 (ID:NKE44364@biglobe.ne.jp)
OMP定期>武満に関わる濃さ、薄さ              からから!
 
●モーさん
>「うすさ」については、私も感じました。鷲橋さんもオフで「セリ以前、セリ以後」
>と仰っていましたが、あの1枚のCDで随分曲の印象が変わりました。
> ただ、怪鳥さんがいらっしゃるので申し訳ないですが、晋友会のCDよりは
>うすかったかなぁとは思っているんですが。
 
 怪鳥さんが「OMPのは濃いのでは?」と仰っているのを読んで一言。
 この場合の濃さというのは、「合唱濃い」とでも言えばわかりやすいのではな
いでしょうか?
 
 晋友会のCDに聴く演奏は、合唱的な美しさ、充実はかなりのものだと思います
が、石川セリCDでポップソングとしての「うた」を聞くと、芸術というより、
メッセージ伝達の手段としての「うた」を感じることが出来ると思います。
 この辺が、合唱にも取り入れられるか否かは別としてここで読んでいる
「薄さ」ではないでしょうか。
 
 OMPの演奏は、一人で自由に歌うときのように合唱で表現できないか…とい
う栗山先生の意図があるように感じました。
 そのへんが、いわゆる合唱的な雰囲気の薄さというべきで、あの演奏の
「濃い」部分は栗山先生の表現としての「濃さ」とでも言うべき物ではなかった
かと思います。
 
 そのようなアプローチが、合唱として成功していたかどうかについては、かな
り議論が分かれるところでしょう。私もあぶない方法論だと思うし、合唱的美学
から逸脱した部分が多いと感じていますが、かなりの説得力を感じたことは
事実です。
 このように書くと難しいですが、なんといっても楽しめました。
 
からから!
 
■#7185 大ホール 96/ 6/21  14: 9 (ID:GXH73005@biglobe.ne.jp)
RES>武満「うた」について           怪鳥
 
●からから!さん
 ご意見を拝見しました。OMPの「うた」についての私の感想は合唱と
 してのものですし、栗山先生の表現についてのものです。その点では
 ご指摘はわかります。
 石川セリの「うた」は私もすばらしいと思っています。ただ、武満さん
 は石川セリ(あるいはポップス)の「うた」に期待したものと、合唱作
 品としての「うた」に求めたものは違うのではないでしょうか?同じ
 素材でふた通りの音楽を意図されたような気がしてなりません。
 私も難しいことはわかりません。演奏を楽しんだのもご同様です。
 
■#7187 大ホール 96/ 6/21  22:40 (ID:ETN19816@biglobe.ne.jp)
RES:「うた」 ココ
 
オンラインなので簡単に。
「うた」の「濃さ」「うすさ」が話題になっているのですね。
怪鳥さんのご意見はもっともなのですが、なんとなく「合唱では無理…」と
いったニュアンスが感じられますね。私は、合唱でも石川セリ的表現は
きっとできると思っています。信じている、というほうが当たっているかも
しれません。栗山先生の指揮も、それにこたえた演奏会でのOMPの演奏も
そういう表現がきっとできる、と信じて目指した結果なのでしょう。
 
ただ、きっとできるという可能性はあっても、それは「不可能ではない」
程度の確率でしかないのだろうな、というのはわかっていますけどね。
 
                    ココ@取り急ぎ
 
■#7189 大ホール 96/ 6/22   1:38 (ID:CLASSIC4@biglobe.ne.jp)
まとめレス>                  モー
 
○からから!さん
> この場合の濃さというのは、「合唱濃い」とでも言えばわかりやすいのではな
>いでしょうか?
 
 なるほど。「濃い」とい言葉はいろいろなニュアンスを含んでいて
それぞれ思い浮かぶものが違っているかも知れませんね。
 
 怪鳥さんの言われた「濃さ」というのは、OMPの演奏の熱気のような
部分、合唱的美学から逸脱した部分が多いところなのかも。
 
    モー
 
■#7190 大ホール 96/ 6/22  10:49 (ID:EFB09241@biglobe.ne.jp)
RE:OMP定期演奏会       ゆいきん
 
 前にUPしたものは、もともと仲間内にメールで送る目的で書いたもので、
妙に硬い文章になってしまいました。
 実際に歌った方からRESをいただけるとは思っていなかったのですが、どうも
ありがとうございます。>究生さん ココさん
 
●究生さん
                                                        たとえば、一曲目の
>「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」の最終和音と二曲目の「島へ」の最初の和音は殆ど
>同じです。また、三曲目の「死んだ男の残したものは」と四曲目の「小さな空」も
>同様で、しかも旋律の動きが似ています。普通はしないそういう曲順を「わざと」
>やったということでした
 うーむ、そうなんですか。気が付きませんでした。
今あらためてプログラムをみると、「明日ハ晴レカナ〜」以外は一応歌ったことはあ
るのですが、譜面が手元にないし歌った記憶も遥か彼方なので、曲の細かいところは
ほぼ完全に忘れてます。
 
>いかに粋に歌うか
この意図は、十分に伝わってきたように思います。
そういや、直接関係ないのですが、私の感覚では、「うた」のシリーズで一番粋な曲
というのは、「恋のかくれんぼ」なんですね。今回OMPの充実した演奏で聞けなく
て、ちょっと残念です。
 
win95!(笑)
> やっぱり(^^; 私達もリハーサルのときに言ってました。
あぁ、やはりそうですか。きっと、反射的にそう思った人が会場に何人もいたことで
しょう。アンケートでもとれば、げいつ氏がよろこぶでしょうか。
 
> 前にも書きましたが、"アンコール" というのとは違いました。
> "オマージュ" ということで、追悼の意を込めて選んだ曲だと思います。
 そうなのですか。
 演奏会をある意味で予定調和的に「閉じる」ということをせず、柴田南雄が創作活
動の最後で「あの時代」を扱ったことを示したという意味で、私にとっては実に印象
的な、もっと言えば実に衝撃的な演奏でした。
 
●ココさん
> 栗山先生の指揮はいつも濃いめですが、あの日の指揮は特に濃かったと
> 私は思います。
 ほぼ10年ぶりで栗山先生の演奏を聴いたのですが、#7119でブーさんが書いておら
れるのと同じような印象を持ちました。やや硬質でガンガン鳴らす合唱という感じは
まったくといっていいほどありませんでした。
 「濃い演奏」というのは、否定的な意味で使った言葉ではありません。むしろ、その
「濃さ」にみあう合唱曲であったのだろうか?ということを感じたという意味です。
また、あのなかから1、2曲だけの演奏だったら、「ぐったりした」というような印
象は持たなかったでしょう。(あるいは、たんにワタシの睡眠不足からくる体調不良
のせい、だったかもしれないし)(^^;)
 
> 実際の打楽器を使っていたのは1グループしかなかったはずです。
> 踊りながら歌っていた一番目立つグループでしたら、あれは人の声ですよ。
 あれまぁ、そうなんですか。例によってワタシの耳はアテにならない(笑)。
  
                                 ゆいきん