合唱シンポジウムinシドニー 川嶋いずみ


INDEX:

■番外編 シドニーの衣・食・住

○衣
・今年のオーストラリアは暖冬だそうだ。
 本体到着の翌日8/7も非常に暖かく、薄手のジャケット程度で街を歩けた。
 「こんなんだったらセーター持ってくることなかった」
 「コートはいらなかったかな」
 などといいながら過ごしていたところ、2〜3日してアウトドアコンサートの
 あたりに急に寒波に襲われた。アウトドアコンサートはシンポジウムTシャツ
 (半袖)でそろえようという計画は撤回され、見苦しくない程度にできる限りの
 重ね着をして乗り切った。

・しかしコートも何も持ってこなかった私は、その日の夜に熱を出してしまった
 ため、これではいかんとホテルのそばのお土産物屋でどてらのような上着を
  買った。
 表が紺無地、アボリジニ模様(亀や魚の絵と点々)の裏地と2枚重ねになって
 おり、とても暖かい。結局猛暑の成田に降り立つまで、外出するときも
 出番を待つ間もずっとこれにくるまっていた。
 (成田に着いた途端持っているのもうっとうしくなり、かばんにくくりつけて
  帰ったけど)

 寒さのほうはまもなく過ぎ、終わりごろにはまた暖かい毎日だった。

・何もない夜はオペラハウスへイブニングコンサートを聴きにいく。そのときの
 服装は、「友だちの結婚式の二次会に出る程度」という基準が設けられていた。
 しかし行ってみたら、ジーパンなどのラフな格好でオペラハウスに出入りしている
 人も結構多く、次第にみんなそんなに気を使わなくなった。
 私はどうでもいいスーツと多少ちゃんとしたスーツをもっていったが、結局ちゃんと
 したスーツは2回くらい着て、あとはどうでもいいスーツでワークショップなど出て
 いた。1日練習とか、フリータイムはジーパンだったし。

 ただし、通常2時間で4団体のコンサートなのに、その日に限って2団体で2時間という
 ときがあって、これはよっぽどすごいところなのだろうとということで、
 みんなちょっと気合を入れた格好をしていった。(事実すごいところだったが)

・日本の民族衣装は着物だが、着て歌うには非常につらい。苦しいし、荷物になるし。
 でもせっかく日本代表なんだし、何かアピールしたい。
 ということで、法被をもってきた人たちがいて、羽織ればとても暖かいし、
 道行く人は振り向くし一石二鳥だったようだ。

○食
・オージービーフとシーフードが名物らしい。だけど今回はあまり充実したお食事は
 しなかった。理由はなぜかいつも時間がなかったのと、夜に遠出をしなかったから。

 というわけで、食べ物については林さんと唐澤さんにお任せしますう。

・朝ごはんはよく外のカフェに食べにいった。大きなパンに好みの具をはさんで
 くれるサンドイッチやホットサンド、ハムエッグとトーストのセットなど。
 外のテーブルで、7人くらいの日本の女の子たちが写真を撮り合いながら
 食べているので目立ち、知っている人もよけて通るほどだった(らしい)。

・果物や野菜は新鮮でおいしかった。
 ジュースを頼むと、たいていその場で大きなニンジンやリンゴをしぼってくれる。
 そのまま出されるのでニンジンなんかは多少青臭いけどおいしい。
 スーパーで買ってきた瓶詰のオレンジジュースなんかも、さっきしぼったんです、
 という感じで、食物繊維豊富、飲むと元気になった。

・コーヒーは必ずカプチーノかラッテで、どれもとってもおいしかったそうだ。
 そうだ、というのは私がコーヒーを飲めないので人から聞いた事実だからなの
 だけど。たしかに「お待ちどう、カプチーノだよ」と運ばれてくるカップは、
 いつもおいしそうに泡でもこもこしていた。

 私はたいていジュースかミルクティにしていたので、特に変わったことは
 なかったけど、紅茶の葉はアールグレイが多かったみたい。

○住
・シドニールネッサンスホテルは、ガイドブックによると「超高級」と書いて
 ある。そんなところに私たちのような一般人が泊まっていいのかしら、と
 おびえつついくと、日本人宿泊客ばかりだった。
 フロントにも日本人がいるし、部屋にも日本語の説明書きがあり、部屋の
 ミニバーにインスタントコーヒーやら紅茶に混じって煎茶が置いてある。
 おまけにホテルの隣に、うどん屋と日本食料品店がある。

・ただし、そのホテルは30階くらいだったのだが、ある階から上は急に
 高級になるらしい。廊下にはリンゴが無造作においてあって取り放題に
 なり(下の階の宿泊者がよく取りに行っていた)、部屋にアイロン台や
 体重計はあっても金庫はなく、フロントの金庫に預けなければならない
 という待遇の違いだった。

・待遇が違うのももっともで、上にいくほど景色はよく、シドニー湾と
 オペラハウスがよく見える。私の部屋は17階でビル街に面しており、
 眺めは決してよくなかったが、毎朝ビルの谷間からシドニー湾に浮かぶ
 ヨットが見えた。

・多少安く上げるため、若い者はツインにエキストラベッドを入れて3人部屋。
 部屋が約16畳の広さであるため、窮屈な感じはしなかった。
 毎日サービスでチョコレートとミネラルウォーターを置いてくれるのだが、
  その数が日によって3つだったり2つだったりするのだった。

 そういえば初日の夜は、私の部屋はベッドが3つでチョコが2つだった。
 でもほかの部屋で、チョコは3つあるのにベッドが2つしかなくて大変だった
 ところがあったので、それに比べればいいほうだ。

・とても空気が乾燥していて、毎晩お洗濯をしてバスルームに干し、バスタブに
 お湯をはって寝ていた。多少は違うけど乾燥には勝てず、最後のほうでは
 ちょっとのどが痛くなった。薄手のTシャツなら一晩で乾いてしまうのだ。


■8月6日(火)

 6時に出発。ボストンバッグを肩に、スーツケースを引きずって駅へ向かう。
 電車に乗ってしまえば、新宿まで30分足らず、そこで成田エクスプレスに
乗ればもう大丈夫だ。
 駅までの道のりと、新宿駅のホームの階段を何とか乗り切り、成田エクス
プレスの自分の席に到着。朝ごはんらしき物を買いに外へ出ると、ホームには
何人か見知った顔がいた。なあんだ、みんなやればできるんじゃないの、早起き。

 7時5分、新宿発。ビスケットとミルクティを朝食代わりにして、後は寝る。
 8時28分に空港第二ビルに着いて、見知った顔の集団と合流し、集合場所へ。

 集合場所のオーロラビジョン前には、すでにたくさんの団員とスーツケースと、
石と布など(「宇宙について」大道具)がいた。スクリーンにももう「OMPシドニー」
の受付場所が出ている。今日はおフランス帰りの栗山先生を含め団員その他約60名
が出発する。添乗員はKツーリスト社員である団員のTT氏(青い鳥ハンガリー旅行の
添乗員さんと同一人物です)で、カウンターの中でてきぱき働いていた。
おかげで、私たちは何事もなく荷物を預けて、見送りの青い鳥のみんなとも
別れを惜しんで、免税品店もよく見てから機上の人となれたのだった。
 ただし、人数が多いのでいろいろ手続きに時間がかかったし、荷物の制限
重量もだいぶオーバーしたのを、頼み込んで負けてもらったり、添乗員さんは
大変だったようだ。お世話かけますねえ。

 11時に飛行機はシドニーへ向けて飛び立った。
 飛行時間が約8時間で、到着は現地時間で21時ごろだ。
 機内にはもちろん一般の人たちもたくさんいるが、スクリーンから後ろ3分の1
くらいは団員である。あちこちで通路で立ち話をして、配り物をしているスチュ
ワーデスさんたちの邪魔をしている。どこからともなく大量のパンフレットや
プログラムの束(コンサートのとき配る用)がやってきて、しばらくみんなで3つに
折ったり2つに折ったりする。私は「宇宙について」で衣装の上に巻き付ける
エスニック柄の布のすそをまつる。どうせ機内はヒマだろうからと思ってとって
おいたのである。みんなは楽譜を見直したり、この期に及んでアイヌ語の歌詞の
意味を書き込んだりしている。

 機内食は昼と夜の2回。夜のシーフードカレーはなかなかおいしかった。オレンジ
ジュースも配られたが、容器がプリンやゼリーと同じで、上のフィルムをはがして
飲むようになっている。

 しかし8時間は長くて、しまいにはすることがなくなり、寝ちゃおうかと思い始めた
ころ、ようやく明かりが見えてきた。オーストラリア大陸の上にきたのだ。
 が、しばらくするとまた長いこと暗やみしか見えなくなる。スクリーンの地図を
見ると陸の上を飛んでいるはずなのだけど、全然人がいない地帯なのかな。

 だいぶたった頃、再び明かりが増え、今度はそれこそビーズを振りまいたような
シドニーの街の夜景が現れた。いや〜、さすが都会だねえ。今まで真っ暗が続いた
だけに感動的である。
 「あれがハーバーブリッジだから、オペラハウスはあの辺…」
という会話が聞こえてきたので、どれどれと窓にへばりついたが、なんだかよく
わからないうちにハーバーブリッジらしきものが後ろに行ってしまった。残念。

 さて、飛行機は無事シドニー空港に着陸。全員が入国し、荷物を確保して
ロビーに集合したのは、22時近くだった。シンポジウム事務局のキャサリンさん
たちが出迎えて下さり、バスでホテルへ向かう。
 そういえばオーストラリアは食べ物の持ち込みに厳しいという話だったが、
別に一人一人チェックされるわけではなく、申告書に何も書かなければいいだけ
のようだ。なあんだ、もう少し食べ物を持ってきてもよかった。
(万が一に備えてレトルトのおかゆとお茶漬けの素を持ってきたのだった)
 とても当たり前なのだが、バスの窓から見える看板は全部英語だし、日本に
比べて派手である。建物もやっぱりとてもきれいだけど、ハンガリーほど
感動的ではなくて、日本にもありそうなビルも多い。
 お店は結構閉まっている。たいていの店は18時ごろに閉まるのだそうだ。

 シドニールネッサンスホテルに着く。ロビーは3階くらいまで吹き抜けのように
なっており、吹き抜けの下にソファーがいくつかある。その吹き抜けの前に
集まって、明日の連絡を受ける。(60人くらいいる。迷惑かな…)
 部屋のカードキーをもらって解散。明日の15:30まではフリーだ。
 17階の自分の部屋にいくと、ルームメイトその1のT嬢がいた。彼女は昨日から
シドニー入りして、今日は会社の先輩の彼氏とかいう人に案内されてフェリーで
遊び歩いていたそうだ。彼女の提案で、明日はパディントン方面へお買い物に
いくことになる。湯沸かしポットでコーヒーと紅茶を入れてひと休み。
 ルームメイトその2のNB嬢がエキストラベッドにいくといったので、私は一番
入り口よりのベッドに寝ることにして、各自ベッドの周りに自分の荷物を置き、
10日ほどここで暮らすためのセッティングをする。
 おふろに入って寝たのは1時すぎだった。

■8月7日(水)

 何だか暑くて目が覚める。
 外はすごくいい天気だ。ビルの間に、真っ青な海が見える。
 ロビーで待ち合わせて、総勢8人で朝食を食べにいく。(林さんが「若い娘の集団」
と書いているのがこれです。20才〜28才と幅のある年齢層の女の子で構成されて
いる。最年長は私だ)
 サーキュラキー駅の前まで歩く。歩道にテーブルを出しているサンドイッチ屋
へ入る。もう少しいくとマクドナルドがあるが、あれはもう数日してからでいい。
 ガラスケースの中に切った野菜やハムやチーズが並んでおり、注文すると好みの
パンに好みの具をはさんでくれる。野菜の種類がとても多くて、うれしくなる。
元気そうなレタス、トマト、キュウリ、千切りニンジン、薄切りのマッシュルーム
まである。
 みんな調子に乗ってたくさんはさんでもらったが、パンをクロワッサンにしたのは
失敗だったかもしれない。日本のビッグクロワッサンくらいあるのだ。
 外のテーブルにカプチーノやミルクティと一緒に運んで食べ始め…る前に、写真を
撮るのね。道行く人が振り返るが、お日さまを浴びて食べたそのサンドイッチは
おいしかった。ただし最後の一口はみんな「おなかが苦し〜い」と、やっとの
思いで食べたけど。

 ホテルに戻って身支度をし、同じメンバーでバスに乗って散策に出かける。
 バスを待っていたら、今度は若い男性の集団(しかし私たちより年齢層は上へ
数年シフトしている)がぞろぞろ歩いてきた。聞けばこれからクルージングにいく
という。なんだかものすごく物々しい。
 バスに乗る。ルームメイトその1のT嬢は英語ができるので、先に乗ってもらい
料金を聞いてもらう。$1.20を運転手さんに払うと、いちいちレシートを
発券してくれるため、とても時間がかかる。私たちがもたもたしている間に、
何人もわきの機械にカードを通して乗り込む。あれを持っていれば速いのね。
 バスに乗ってワイワイしてたら、聞き慣れない声の日本語が聞こえた。
「どこまで行くんですか」
 見ると私たちのすぐ後ろに、上品そうな日本の年配のご婦人がいた。
「日本語だ〜!」
 みんな感動してしゃべりまくる(こらこら、昨日の朝までいやというほど聞いて
いたでしょうが、日本語なんて)。なんでもその方はシドニー在住で、日本舞踊を
教えているそうだ。アウトドアコンサートのお知らせを渡す。

 バスを降りて、パディントン方面の散策へ。
 バス通りにそってアーケードが続く。おしゃれなブティックやカフェに混じって
おもしろそうな雑貨屋やドラッグストアのような店があり、そういうところを選んで
入ってみる。絵はがきやらミネラルウォーターやらを買う。スーパーマーケットが
あったので、明日の朝食用のパンとヨーグルト、オレンジジュースを買う。果物が
山積みになっていて、なんか豊かな感じがする。ヨーグルトも迷ってしまうほど
種類があった。
 一本、道を入ると、閑静な住宅街だ。かわいい庭や柵がある。
 うろうろしていたらお昼はとっくに過ぎた。15:30までにはホテルに戻らなければ
ならないし、何か食べなければね。通りすがりのカフェに入り、中庭のテーブルに
通された。日なたは暖かいけど、日陰はかなり寒いし、風が強い。いくつかテーブルが
あって、遅いお昼を楽しむオージーさんたちがいる。お皿が大きい。
 朝食が多かったので、さんざん歩き回ったのにおなかがすかず、メニューにあった
パンの一種というのを頼む。私はパンが続くと飽きてしまうたちなので、マッシュ
ポテトとジュースにした。
 パンの一種というのは確かにパンだったが、オリーブやフェンネル、かぼちゃなどが
入って、バターをぬって焼いてあるかなりしつこいものだった。みんな香料のきつさと
ボリュームに閉口している。マッシュポテトは普通のマイルドな味だったけど、
中くらいの鉢に山盛り。でもよく考えると、私たちの頼んだのは全部サイドディッシュ
で、普通はこれらと、メインに大きなお皿のステーキなんかを食べて、最後に甘い
デザート(ここでケーキを頼んだ人もいたが、とにかく甘かった)でしめるのだろう。

 15:30にロビーに集合。これからみんなでオープニングセレモニーへいくはず
だったのが、大勢来てもらっても困るようで、結局栗山先生と数人がいくことに
なって、一般団員は20:00にオペラハウスに来いということになった。
 急にフリーになったので、若い娘集団は歩いてお買い物へ。私は途中までついて
いって、Phone Card(テレホンカード)を買って戻る。昨日空港で買った人が
コアラ柄のを手にいれたので期待していたら、オーストラリアでなくてもあり
そうな雑貨柄のをもらう。ちょっとくやしい。
 それを使って、ホテルのロビーで実家に電話をし、生存証明をする。

 戻ってきた若い娘集団と、ロビーでぶらぶらしていた若めの男性数人と共に
ホテルを出る。オペラハウスまで歩いて15分くらいだが、途中で夕食を済ませ
ないといけない。
 ホテルのまわりは免税店ばかり。日本語の看板が多い。駅前にいく角には
こともあろうに「秋葉原」という名前の免税店があり、日本語で呼び込みを
している。何の気なしに中をのぞくと、どこかでみたような背の高い男の人が
店員の怪しげな日本語に怪しげな日本語で答えている。
 「先生?」
正装してセレモニーにいったはずの先生だった。レセプションが退屈なので
抜け出してきたのだそうな。先生も一緒に、駅のそばのレストランへ。
 すでにシンポジウム関係者らしき人たちでいっぱいだった。ようやく2つの
テーブルに分かれて座る。黒板に書いてあるセットメニューのなかから、
マッシュポテトを挽き肉のうえにかぶせて焼いたシェパーズパイを頼んで
みる。料理の本でしか見たことがなかったけど、味も比較的しっかりついていて
おいしかった。みんなが頼んでいたキッシュはハムや卵が入ったパイのような
ものだったが、珍しいことにアボカドも入っていた。火を通したアボカドは
ちょっと苦みがある。薄味でちょっと物足りない。

 さっぱり注文をとりに来てくれなかったため、食べ終わってお勘定を
済ませたらぎりぎりの時間で、初めて生でみたオペラハウスの感動も
そこそこにホールへ駆け込む。席につくと、そこはステージの真後ろだった。
奥に広い客席と、わりと小さいステージと、その上にぶら下がる透明な
救命浮き輪のようなものが見える。

オープニングコンサート"AUSTRALIA SINGS"


PERFORMERS FROM NAISDA:
(NATIONAL ABORIGINAL and ISLANDER SKILLS DEVELOPMENT ASSOCIATION)
  Tiwi song

DIDJERIDU SOLO

AUSTRALIAN VOICES(Conductor:Graeme Morton):
    Ngana
    
SYDNEY CHILDREN'S CHOIR(Conductor:Lyn Williams):
  Excerpts from "The Mahogany Ship"

THE SONG COMPANY(Guest Conductor:Peter Leech):
    Freddie the Fish
    For more than sixty years
    
MARTENITSA CHOIR(Conductor:Mara Kiek):
    Ergen Deda
    Dumai Zlato
    Bre Petrunko

SYDBEY PHILHAMONIA MOTET CHOIR(Conductor:Antony Walker):
    Sydney Dreaming
    Irish tune from County Derry

-----INTERVAL------

THE ADELAIDE CONNECTION(Director:Connaire Miller)
    Waltzing Matilda
    Nature Boy

PERFORMERS FROM NAISDA:
    Torres Strait Island songs

THE SONG COMPANY
    Who stopped the rain?
    Heather Frog

SYDNEY CHILDREN'S CHOIR,THE SONG COMPANY,THE AUSTRALIAN VOICES,
SYDNEY PHILHARMONIA MOTET CHOIR:
    Doo

TOKAIKOLO SYDNEY TONGAN CHOIR(Conductor:Sione Tupou Fonua):
    Hanga Hake Homoumata
    Eki Foaki Mai Ho Laumaie

CAFE DE THA GATE OF SALVATION(Director:Tony Backhouse):
    Jubilation
    In the Spirit
    
Massed Choirs
    I am Australian

 これで全部。22:30までかかったけど、飽きなかった。
 アボリジニの人たちと普通の合唱団の共演ではじまる。激しいリズムとダンスに、
圧倒されつつ、これから楽しいことが始まるぞ、という気になる。オーストラリア
の合唱盛り沢山だ。子どもたちが大きな布を使って、波と舟を表現しながら歌う。
似たようなことを青い鳥の定演でやったっけ。突然客席の一隅にスポットが
当たり、6人の男女が立ち上がって、見事なアンサンブルでかっこよく歌い出す。
特に印象に残ったのはこのTHE SONG COMPANYと、横に広い大きな人たちばっかり
20人くらい集まって、いい味を出していたTONGAN CHOIRだった。
 どれも、これでもか、と、ドドンと訴えてくる。
 …早く自分もここで歌いたい。
 「We are the World」に似た曲を全体合唱して終わった。

 外に出る。ふりかえると、夜空に白く浮かぶオペラハウス。みんなで写真を
取り、連れ立ってホテルへ戻る。
 空には星が光っていた。若い娘集団で仲良しのKクンが、蠍座が見えると
いって感激している。南十字星が見えるはずだが、だれもどれがそれなのか
知らない。東京よりもずっと星が多い。
 帰って寝たのはやっぱり1時ごろだった。

■8月8日(木)

 ルームメイトと共に部屋で朝食をとる。オレンジジュースがおいしい。
 今日は練習の合間にコンサートを聴く日だ。ロビーに集まってバスに乗る。
 バスは海沿いの道を走り、郊外へ向かう。静かで高級そうな住宅街の中の、
赤いレンガのかわいい修道院についた。ひとしきり写真を撮って、ぞろぞろ
中に入る。
 日本語を話す小柄なおばあちゃま(ローラさん)が出迎えてくださった。
滞在している間はここで練習させてもらえる。小さな中庭を通って、広めの部屋へ。
 いすを片づけてボイストレーニングを受けるが、みんなすっかり体も声も
なまっている。そろそろ栗山先生も到着するようだ。

 予定表では、昼前に出て、フィンランドの女声合唱団タピオラを聴くはずが、
よほど私たちは下手だったようで、13:30まで練習は終わらなかった。バスで
14:00ごろにホテルにつき、Danish National Radio Choirのコンサートまで
フリーになった。例によって若い娘集団に、林さんをお迎えして、いっしょに
ホテルのそばのロックスという街を散策に出かける。

 ロックスは歴史が新しいとのことで、街全体が作り物のように整っている。
ディズニーランドの片隅に迷い込んだような感じだ。
 タピオラどころかお昼さえも食べ損ねた。お昼前にティータイムが入って、
修道院で用意してくれたペストリーを食べただけ。手作りだけあってとても
おいしかったけど、ちょっぴりだったので、通りすがりのカフェに入り
おなかふさぎにお茶をする。キャロットケーキを頼んだら、一切れが日本の
3倍くらいの大きさで、くるみやら何やらいろいろ混ぜられてどっしりした
ケーキに、チーズみたいな味がするチョコレートのコーティングである。
おいしかったんだけどね。例によってみんなで頼んだものを味見しあったけど、
ローストビーフサンドイッチもどんぶり入りチキンスープもおいしかった。

 お土産物屋さんが並んでいるが、どれも高級そうである。有名なケンドーン
ギャラリーもあったので冷やかしていると、向こうから若い娘集団の中でも
最も若い子と二番目に若い子が、何やら必死にこちらへ助けを求めている。
 「ラジオで宣伝してくれるって!来てください!」
 いつのまにか林さんはどこぞへ消えてしまい、しかたなく残った若い娘
たちが助けにいく。よく話を聞いてみると、シドニーで日本語放送をやっている
人たちが街頭インタビューをしてて、それにつかまったようなのだ。
 しかし宣伝してもらえるなんていい機会なので、無駄にはすまじ。ちょうど
通りかかったOMPのお兄さんたちも巻き込んで、携帯電話でインタビューに
答え、適度に宣伝もしておく。
 大騒ぎで終わらせてほっとしていると、日本の歌謡曲のイントロクイズを
やるから答えろという。全部で3曲で、どれも最近のヒット曲だそうだ。
 全員でラジオの回りにたかって聞き耳を立てたが、何一つ正しく答える
ことができなかった。取材に来ていたラジオ局の人も、ラジオの向こうの
パーソナリティも、だんだんあきれ顔になっていく。
 原因は、たぶん人がテレビを見ている時間に家にいなかったためだろうな。
ここ半年くらいの間。
(翌日、インタビューにつかまった最も若い娘はこのラジオ局のスタジオに
呼ばれて番組に出た。かわりにインタビューに答えたNB嬢も一緒に行って
ここでもかわりに答えたそうな。さらにこの二人には、保護者とボディー
ガードがついていったのだった)

Concert - Danish National Radio Choir

 セントジェームズ教会で、Danish National Radio Choirのコンサート。
 暗くなるにつれ寒さが厳しくなり、会場もとても寒い。「寝るな、寝ては
いかん!」という感じだったが、実はあまり完璧でいい声で安らかで、
あまり安心して聴けるので途中で寝てしまった。

イブニングコンサート(SOH Concert Hall)

 今夜もオペラハウスでイブニングコンサートがある。
 ホテルに戻り、多少あったかくていい格好をして、ホテルのとなりのイタリア
料理店へ。例によって同じメンバーである。
 時間がないので近くで済ませようと思って入ったのだが、どちらかというと
高級で、コースをちゃんと摂取しなければならないような雰囲気だ。にこにこした
ウェイターさんがメニューをもってきてくれたので、20:00までにオペラハウスに
行きたいとわけを話して、パスタ一皿とハウスワインで勘弁してもらう。
 それでも時間はなくなり、結局昨日と同じに駆け込みセーフであった。あまり
人のよさそうなウェイターさんだったので、一緒に写真に入ってもらったりした
からなんだけど。

 今日のコンサートはチケットの予約がうまくいかず、こちらに来てから希望者
のみがいくことになったため、うちの団の人は少ない。

TE WAKA HUIA(ニュージーランド/Director:Ngapo Wehi)
  Powhiri
  I Te Timatanga

NEW ZEALAND NATIONAL YOUTH CHOIR(ニュージーランド/Cond.:Karen Grylls)
  The Moon is Silenly Singing
  Childhood
  Waiata

ELEKTRA WOMEN'S CHOIR(カナダ/Cond.:Dians Loomer & Morna Edmundson)
  O Vivens Fons
  Flos Regalis
  Snowforms
  Ave Maria(David MacIntyre)

----INTERVAL----

UNIVERSITY OF THE PHILIPPINES MADRIGAL SINGERS
(フィリピン/Director:Andrea O Veneracion)
  Prayer of St Francis
  Ave Verum(Charles Gounod)
  Les chans des oiseaux
  Gabaq-an

BRIGHAM YOUNG UNIVERSITY SINGERS(USA/Cond.:Ronald Staheli)
  Everyone Sang
  I Have Had Singing
  Io son la primavera
  O've lass'il bel viso
  Cloudburst
  How can I keep from singing
  Psalm XCVI,from Three Psalms


 今日もアボリジニから始まった。そういえば昨日は男の人ばかりだったが
今日は女の人もいる。
 カナダの合唱団は、わりと年齢層の高い女声合唱だったが、黒に金ラメの
まばゆい衣装で、これで歌が下手なら許せないのだが、演奏もいい。知る人ぞ
知る女声合唱団トパーズを思い出した。(わかりにくいかしら)

 休憩が終わりステージを見ると、椅子がUの字に並べてある。
 フィリピンの合唱団が入ってきてぐるっと座り、指揮者とおぼしき人も座って、
呼吸を合わせて歌い始めた。手話のような手振りをしながら。
 ここがとにかくすごかった。1曲目は演奏も当然よかったけど曲もよくって、
思わず楽屋に押しかけて楽譜をもらおうかと思った。やらなかったけど。
ジャヌカンの「鳥の歌」も完璧だったし、最後の曲は叫んだり足を踏みならしたり、
ソプラノは超音波を出している、にもかかわらずうるさい感じがしないのは、
やっぱり基本がしっかりできているからなのかなあ。くやしいほどすごかった。

 帰りはKクンと一緒に黙りこくって海沿いの道を歩いて帰った。
 噂には聞いていたけどやっぱりすごいやかなわないや、とも思ったけど、
早く私たちも、ここで私たちの歌を歌いたいな、とも思ったのは、ちょっと
ずぶとすぎるかしらね。
 とっとと寝て、明日はがんばろう。

■8月9日(金)

 早起きして(いや、たいして早くないけど)昨日ロックスのパン屋で買ったパンを
食べ、ホテル内の会議室へ発声練習をしに出かける。


皆川達男ワークショップ"Western Music in Japan"

 今日はいよいよ本番が二つ!  まず一つ目の御座敷は、皆川達男先生のワークショップである。日本の合唱曲の 見本市のように、ちょっとずついろんな曲を歌うのだ。会場のウェントワースホテル までしばらく歩く。外はとても寒い。  会場のわきにある小部屋を控え室としてあてがわれた。シンポジウムTシャツに 着替える。冬だというのに半袖だ。ちょっと室内でも寒いな。  ワークショップが始まった。ライブラリアンのN宮さんと一緒に、会場に通じるドアに はりついて聞き耳をたてる。「宇宙について」で歌った隠れキリシタンのおらっしゃの ようなテープの音がして、皆川先生が英語で説明している。どうやら、キリスト教の 伝来とともに西洋音楽が入ってきて、そこからの日本の音楽の変遷などを説明すると いうワークショップのようだ。  やがて呼ばれたので、そのドアからぞろぞろ中に入る。聴講者は日本人がほとんど で、やや拍子抜けする。狭い部屋で、グランドピアノの後ろに並んだら、楽譜を 広げるすきまもない。私とNB嬢はピアニストの浅井先生の真後ろに立って、ピアノ用の 楽譜を見ながら歌うような格好だ。  「秋のピエロ」など男声合唱も入るので、その間男性を前に出して、女性は後ろに ひっこむ。壁のような男性の背中と録音機材のあいだで、平行四辺形になって終わる のを待つ。窮屈だよ〜。  できはまあまあだったようだ。「荒城の月」をリクエストされて、先生も機嫌が よさそうだ。皆川先生も喜んでくださった。何となく「日本の合唱曲を世界に 広めたぞ」という気分になる。

Martin Placeアウトドアコンサート

続いては、Martin Placeでアウトドアコンサート。 あまり寒いので一度ホテルへ戻ってしっかり着込んでから出かけることにした。 ビルの谷間に石畳の広場がありその片隅に野外音楽堂がある。控え室に荷物を 置いて、しばらく阿波踊りの練習(歌でなく踊り)をしたりして本番に備える。 外は冷たい風が吹いているが、階段状の客席には結構人が座っていて、 私たちがサウンドチェックをするのを面白そうに見ている。 この人たちみんな演奏を聴いてくれるのだろうか。サウンドチェックは 終わって、まだ開演までには時間がある。急遽駆り出されたのは、団内の 男声アンサンブルグループによる「ドラゴンボール」であった。ほとんど 内輪受けであったが盛り上げておいて、コンサートを始める。 数曲だったのですぐ終わった。終わるころにはかなり人が集まって きていた。その中に似ている顔をした、真っ青な直衣のような服を着て 黒い帽子をかぶった人たちがいて誰だろうと思ったら、私たちの次に これからコンサートをする内モンゴル青少年合唱一座の人たちだった。
お昼はT田さんたちにくっついて、近くの「麻布十番」へラーメンを 食べにいく。$8くらいでとてもこってりしている。でも久しぶりだし 寒いのであつあつがおいしい。こっちで働いているらしい日本人や アジアの人が多いが、オージーも結構食べている。 今回の合唱シンポジウムにはマクドナルドが協賛していて、参加者に 無料でセットが食べられるサービス券を配っていたので、それでお昼を済ませる 人も多かった。うちの合唱団は人数が多くてサービス券が足りず、お金のない 若い者に優先的に配られた。 午後はまた修道院で練習。あいかわらず先生の機嫌は悪い。 どういうわけかこの日の帰りは送迎バスがないそうで、全員自力でホテルまで 帰ることになった。バス通りへ出てタクシーを物色していると、サーキュラキー 方面にいくというバスがきたのでそれにぞろぞろ乗り込む。 ほぼ満員だった。ちょうど帰宅ラッシュの時間だからだが、私たちは大人数で ある上にカードをもっていないため、とても乗るまでに時間がかかった。 でも乗客の皆さんは別にいらいらしている様子もない。 乗ってからしばらくして、こんなに運賃が安いはずがない、きっとこれは 初乗り料金で、サーキュラキーまでいくのにはもう少し余分に払わなければ いけないはずだという意見が出た。また降りるときに、これだけの大人数の 人達が精算を始めたら、いかに寛大なオージーたちでも切れちゃうだろう。 「じゃあここで降りちゃおうか」と、またみんなでぞろぞろ降りたのは セントラルステーションという駅のそばのバス停だった。そこから地下鉄で サーキュラキーまで乗って帰る。 (そのままバスに乗っていてもホテルへ帰れたという話だが、真相は 結局よく分からない) 今夜のコンサートは参加者全員になるべく聴いてほしいらしい。事務局が オペラハウスのそばのイタリア料理のカフェテリアの券をくれたので、それが 夕食である。いってみたらもう関係者で満員だったが、二階に席が確保してある そうだ。ガラスケースの中にはパスタや、赤いご飯詰めピーマンや肉などが 並んでいる。お昼がまだもたれていたので、太いアスパラガスのベーコン巻き にしたら、ポテトをどっさりと大きな固いパンをつけてくれた。ううむ。  一番人気はご飯詰めピーマンだったが、大きさが小ぶりのレタスくらいある もので、おいしかったけどみんな迫力に負けて残している。

イブニングコンサート・ベルレク

Berlioz Requiem cond:John Nelson tenor:John Aler Sydney Symphony Orchestra National Australia Choir 今夜のコンサートはベルリオーズのレクイエムだそうだ。くる道々、同じ 団員で新進作曲家のN氏(コアラに似てるので通称コアラ氏)と、ベルディの レクイエムについて話しながらきただけに、ちょっと悔しい。「ベルレク」 だけはあっていたのに。 オーケストラはシドニーのオーケストラで、合唱団はシンポジウムに参加している オーストラリアの合唱団全員が出るようだ。ステージの両脇と後ろの客席が、すべて 合唱団用に確保されている。ステージを見ると、コントラバスが10本、ティンパニーが 8つ、銅鑼が1つ、大太鼓1つ。 なんだか大変なことになりそうな気がしてきた。 やっぱり大変な曲だった。なんと客席の後ろには、ぐるりと金管楽器がいたのだ。 突然後頭部にラッパの音がぶつかってきて、本当にこの世の終わりかと思った… わけではないが、びっくりした。演出だったのか、単なるスペース不足の苦肉の策 だったのか、または客を寝かせないための工夫なのか、是非聞いてみたいところだ。 演奏そのものは悪くなかったが、大曲なのでくたくたになってしまったうえ、 なんとなく頭痛と寒気がするので、さっさと部屋へかえって熱を測る。 37度8分だったので、さっさと着替えて寝てしまう。明日からが大事な練習と 本番なのに、冗談じゃないわ。
 寝ていると妹が部屋へ入ってきた。団員ではないのだが応援団の一人として 今回参加することになり、今日の朝日本を発ってきたのだ。添乗員が行方不明で、 結局免税品店を5分間しか見られなかった話や、今日本では貝割れ大根が話題の 中心であるという話を寝ながら聞く。それと、唐澤さんが同じ飛行機に 乗っていたという話も聞く。 (唐澤さんは栗友会の行事に何度か顔を出しているので、妹とも面識はある)  おやおやまあ。ホームページの取材かな、大変だな。  明日は熱が下がっていますように…。

■8月10日(土)

 この日は一日中修道院で練習の日でした。
 先生が最悪にご機嫌斜めで、だれもなだめようがないほどだったし、
自分も熱あり無重力状態で、練習をこなすのがやっとでした。
(宇宙についての立ち稽古もあったし)
 よってこの日の日記はなしです。

 お昼は修道院の人たちが作ってくださった野菜スープと、バターつきパンと
色とりどりの果物だった。スープはトマトが入った薄味で、お肉のかけらも
少々入っていて、油っこい料理(としんどい練習)に疲れた胃に優しく、みんな
感動しながらいただいていたようです。

 その日の夜はコンサートも何もなく、若い娘集団はオージービーフを食べに
出かけていきました。(部屋に戻ってくるなりルームメイトその一のT嬢いわく
「焼き過ぎで炭になっていた」…)
 私はホテルそばの免税品店「秋葉原」にいって、会社や近所の人へのお土産と、
寒さ対策のためどてらのようなブルゾン(表が紺で、裏地が青に黄色の点々で
アボリジニ模様)を買ってのんびりホテルへ戻り、恵んでもらった風邪薬を飲んで
早々に寝ました。(しかし部屋がとても乾燥するので、無重力状態で洗濯をした)

■8月11日(日)

 熱はだいぶ下がっていたけれど、昨日一日あまりものを食べなかったので
胃腸の調子が悪い。センブリ(胃に効く薬草で、干してある茎をぽきっと
折って「にが〜い」といいながらしゃぶる)を口にいれて、妹や若い娘に
くっついて朝ごはんを食べにいく。
 日曜日なのでどこも閉まっており、やっとロックスのオープンエアカフェに
モーニングサービスの看板が出ているのを見つけた。スペシャル・ブレック
ファスト、ハムエッグ、ベーコン、トースト。
 ふだんなら迷わずそれを頼むけど、今日は無理そうなのでシリアルと紅茶を
頼む。出てきたのは押し麦のようなシリアルに、乾燥バナナやレーズン、
干しあんずや刻んだナッツが混ざったもので、生のリンゴの千切りとバナナの
輪切りがのせられている。ミルクをかけて、よ〜く噛んで食べてみた。元気に
なりそうな感じ。

 昼から明日の「宇宙について」の会場、コンセルバトリウムで場当たりが
ある。妹もサクラとして参加するため、一緒にホテルから歩く。歩きながら
見上げると、青空に飛行機が煙で字を書いている。
 "JESUS"
 コンセルバトリウムの前に来てもう一度見上げると、字が増えていた。
 "Saves"
「続きは何だろ、"us"かな」
「"you"かも」
 そのまま道路のわきに腰掛けて続きを待っていたら、団内指揮者のM澤さん
ご夫妻が通りかかる。私たちから事の次第を聞くといわく
「"The World"じゃないか」
 そうかなるほど。だとしたら書き終わるまで待っていたら遅れてしまう。
 さっぱり次が始まらないまま時間が迫ってきたので、あきらめて中に入る。

 コンセルバトリウムは、建ててからかなりたったという感じだが、内装も
どっしりとしていて、風情のある古び方をしている。
 半日「宇宙について」の場当たりで終わった。今までの中で一番小さいホール
なので、動き方や位置もかなり変えたし、客席を歩くときには2階にもいくことに
なった。私も隠れキリシタンのおらっしゃで歩き回るときの2階係になったが、
狭いので何とかなりそうだ。
 「諸民族の祈りの歌」でも、2階で歌う民族も作ることになった。
うるさいというので2階のすみに置かれたビル族グループは、よけいにはりきって
いるらしく大勢はあまり変わらない。
 コーロカロスやうちの妹などサクラの観客のみなさんには、おらっしゃを
手伝っていただくので、一緒に練習する。

 18:00に練習が終わった。例によって20:00からオペラハウスでコンサートが
ある。明日が本番だし、体調を考えてパスすることにした。今日は通常4団体が
出るコンサートに2団体しか出ない。ということはきっととてつもなく上手な
合唱団であるはずで、聴きたいけれど仕方ないや。特に前半のモーゼズ・
ホーガン合唱団は聴いてみたかったけど。
(日本に帰ってきてからCDで聴いたが、これはたのしい。来日公演しないかな)

 パスするにしても食事はしなければならないので、いつもの若い娘集団に、
今日はバリトンのOMP一の若造Mをお迎えして、ロックスへオージービーフを
食べにいく。
 なぜロックスかというと今日が日曜日だからで、やはり日曜日は安息日
なのでほとんどの店が休みなのだ。しかしロックスは観光用の街だから
どこかは開いているだろうと考えてきたのだが、閉まっている店の方が多い。
通りすがりのドイツ料理屋へ入る。たぶんそこでビーフステーキを頼めば
同じ事だろう、というわけで。
 メニューをみるとドイツ語と英語で前菜、メイン、パン、などに分かれて
書いてある。みんなはステーキを頼んでいたが、私前菜とパンだけでいいや。
前菜にあったグーラッシュズッペを頼む。ハンガリーのスープ、グヤーシュの
ドイツ版だ。それとガーリックトースト。
 みんなのステーキは大量のフライドポテトと野菜にちょこんとのって出て
きた。炭だの何だのという噂から想像しているよりおいしそうなのは、ここが
ドイツ料理屋だからかな。
 グーラッシュは、真っ赤な濃いどろっとしたシチューだった。噂には聞いて
いたが、確かにハンガリーで食べたものとは大違いだ。ちゃんとパプリカの
香りがしておいしいけど、やっぱりハンガリーのスープの方に軍配をあげたい
気がする。その場には去年青い鳥で一緒にハンガリーへ行ったKクンや、
高校の卒業旅行で行ったばかりの若造Mがいたが、二人とも同意してくれた。
 ガーリックトーストもおいしかったし、満足。

 グーラッシュのおかげでだいぶ無重力状態から解放されてきた。コンサート
へ行くみんなと別れ、海辺の道を散歩しながらホテルへ帰る。最初は外国は
治安が悪いのだと決めつけてほとんど一人歩きはしなかったが、この辺は
そんなに治安が悪い方ではないようだ。一人でのんびり夜景を見ながら歩くのは
なんだかほっとする。ハーバーブリッジもオペラハウスも相変わらずきれい。
 駅前の露店の八百屋でリンゴを買って、お手玉にしながらホテルへ帰り
(お手玉にできるくらい小さい。でも皮がぴかぴかなので丸かじりには不安)
T嬢が飛行機からくすねてきたお肉用ナイフでむいて、一切れ食べて寝る。

■8月12日(月)

「宇宙について」リハーサル 〜 本番

 今日の朝ごはんは、あの初日にいったサンドイッチ屋だ。この前の教訓を生かして
クロワッサンはやめ、チーズベーグルとミルクシェイクにする。ベーグルは普通の
大きさで、半分に切ってバターをぬってくれた。ミルクシェイクがすごくて、
マックでいうラージサイズくらいのカップになみなみ入れた上に、アイスクリームを
一すくい、フレーバーのようなものをポンプ式の容器からで4押し分入れてくれて、
最後にさしたストローが立っている状態のものを渡された。
 ベーグルとミルクシェイク半分を自分の朝食とし、まだ部屋で寝ている妹の分の
サンドイッチをテイクアウトして、残りのミルクシェイクとともにあてがう。

 「宇宙について」で客席を歩き回るときに、竹にいれたペンライトをつけるのだが、
その竹にペンライトのスイッチ用の穴を開けてもらいにT田さんの部屋に行ってから、
ソプラノのパート練習に参加し、お昼ごろにコンセルバトリウムへ移動する。

 今日の昼ご飯も事務局が用意してくれたもので、サンドイッチ1パックとジュースが
1本。コンセルバトリウムの回りが公園になっているので、あちこちに散らばって
食べる。サンドイッチにはツナや野菜に混じって、またアボカドが入っている。
好きなのかしらね。それと小さいけどこってりしていそうなケーキ。
 パンをまいたら鳥が集まってくるが、鳩に混じって目のたけだけしい大きめの鳥が
来る。何だか幅をきかせていてこわい。
 と、向こうのほうでばさばさと音がしたのでみると、大きなキバタンインコの群れ
が飛んできたところで、これも自分の知っているインコという鳥に比べてはるかに
大きいので、何だかこわい。ヒッチコックを思い出す。
 一羽だけカモがいて、首をかしげてよってくる様子がとてもかわいいので、優先
してパンをあげる。鳩にも「カムイの風」を歌うために鳴き声やしぐさを研究させて
もらったので、なるべくパンをあげる。
 そんなことをしていたら、発声に遅刻してしまった。

 発声をしてからホールでリハを行う。
 動きは何とか身についたが、歌がまずいので、反省。
 先生はずいぶん前向きだ。昨日までとはだいぶ違う。昨日までを本番直前、
今日を本番寸前と考えれば、くるっと変わるのはいつも通りかな。

 楽屋に荷物をおく。一応男女は分かれていたが、荷物を置くだけが精一杯の
広さしかない。早めに着替えて小道具を身につけ、林さんと一緒に客席へいく。
「宇宙について」は、真っ暗な客席のあちこちから歌い始め、だんだんステージに
のぼっていって、また最後には客席に降りて終わる。林さんと私は、まず客席で
座っていて、最初に歌い始めるグループに属しているのだ。
 もうお客さんのちらほらいるロビーを回って入り口へいくと、カロスのN夫さんが
いた。中に入ろうとすると、受付係をやってくれているらしい事務局の女の人に
見とがめられる。N夫さんが事情を説明すると、「Oh,Choir member!」と、
背中をぽんとたたいて中に入れてくれた。入り口は黒い布が下がっているだけで
扉はない。

 日本から持ってきた黒い布や石ころや、コンセルバトリウムの物置に眠っていた
足が一本短い椅子が置かれ、スモークがたかれて、会場は薄暗くアングラ劇場のような
雰囲気である。まだがらがらの客席の指定の席に座る。
 秘密厳守というわけではないが、種をなるべく明かしたくないのは人情である。
 衣装がすこしエスニックだが、無理すればこれで街を歩いても変ではないし、
不自然な様子をしなければ、観客も出演者がこんなところに座っているとは気がつか
ないかもしれない。よし、自然に座っていよう。
 しかし、自然に座るってどうやるんだろう。(^^?

 開演が近づくにつれ、客席はずいぶん埋まってきた。私と林さんの隣にも客が
座る。妹を含むサクラの客も所定の位置にならんで座っている。
 と、目の前の通路にうちのグループの男性たちがぞろぞろやってきてしゃがんだ。
 存在そのものが異様だ。これはどうひいき目にみても客には見えないだろうなあ。
 ひまなので、とりあえず目の前にいた男性Oと
 「日本からいらしたんですか」
 「ええ、そうなんです」
と不毛な会話を交わして時間をつぶす。

 会場が暗くなった。おお、本当に真っ暗になるのね、この会場って。
 真っ暗な中に、ぽつんとWin95の起動画面のような青空がともる。
 はじまり、はじまり。

 異国のお客さんは、予想よりははるかに平然と聴いてくれている。柏市合唱祭の
お客さんよりはずっとやりやすい。
 4章になり、みんなが次々にステージを後にして、今まで歌っていた神を讃える歌を
否定するような奇声を発しながら客席に入っていく。私も降りて、ペンライトを取り
出してつけ、隠れキリシタンのおらっしゃを唱えながらロビーへ出て2階へ向かった。
 もうここまでくると、「よ〜し待ってました、やってやるぞ〜」という気分である。
周りはみんな外国の人ばかりなのだが、思ったより全然気にならない。
 ロビーで、コンセルバトリウムの学生らしい若い男の人とすれ違う。ロビーとは
いえ本番中なので、構わずおらっしゃを唱えながら2階への階段へ向かう。上りながら
後ろをうかがうと、そのお兄さんが不思議そうな顔をして後をついてきていた。

 さて、お客さんの反応はというと、サクラ係いわく、
「うん、不思議そうな顔をしていたよ」
 わかりにくかったかしらねえ。
 おらっしゃの次に客席で歌う、諸民族の祈りの歌はみんな気合いが入っていて、
あの辺は見てておもしろかったと思うけど。私の属するセレール族も、いつもより
張り切ってたたいていたし、男ばかりで歌いながらぐるぐる歩き回るだけなのに、
なんだか異様な雰囲気がおかしいコプト教会の人たちも、何となく張り切って
回っているようだった。
 ビル族がテンション高いまま1階に踊りながら降りてきたときには、やって
くれるぜとうれしくなった。みんな本番まで、いろいろためていたようだ。
 ともあれ、シドニーまできてくれたスタッフの皆さん、サクラをやってくれた
応援部隊の皆さん、ありがとう。

 終了後、荷物をまとめてロビーにいくと、シドニーで初めて唐澤さんに会う。
おお、本当に来ていたんですか。
 「や〜、お久しぶり」
 昼間はどうしているのと聞いたら、一人で市内を観光しほうだいなんだそうだ。
 お供をしようにも、私たちはまだまだ練習漬けだし…。

 男性は撤収作業に、女性はその間に事務局の用意してくれた夕食を食べて(チキン
シュニッツエルとラムが選べた)、打ち上げ会場で合流するとのことである。
 どうしようかな。明日はオペラハウスの本番だし、念のため帰っちゃお。
 何か今回は風邪を引いたせいか年を取ったせいか、あまりにぎやかな席に
出ないなあ。やはり早寝する女性の数名とともに、バスでホテルに帰る。

 打ち上げにいった人たちも、そんなに遅くならないうちに帰ってきた。
 私は今年の誕生日が出発前日で祝うどころではなかったのだが、若い娘たちが
それをふびんに思ってくれたのか、小さなケーキを買ってきてくれて、寝る前に
ささやかにお祝いしてくれた。
 みんなありがとう!
(つづく)

■8月13日(火)


ワークショップ - TOKYO CHOIR OMP/三善晃

 ルームメイトが二人とも、昨日の打ち上げの中華料理が胃にもたれている、
というので、レトルトの白がゆを温め、お茶漬けの素をふりかけて三人で食べる。

 8:15AM、ロビーに集合し、発声練習場であるANAホテルへ歩いて移動する。昼に
三善先生のワークショップ、夜にオペラハウスのコンサートと、スケジュールが
びっしりノンストップなので、大荷物を持ってぞろぞろ歩く。
 ホテルの会議室で、発声練習と栗山先生の相変わらずの練習をすませ、バスで
ワークショップの会場Chapter Houseへ移動した。会場は歴史を感じる大きな教会
だったが、まだ前のワークショップが終わっていないので、前の広場でしばらく
待たされる。
 日陰と日なたの温度差が大きく、みんな極力日なたへたたずんでいる。
 こっちで買った上着のおかげで、寒さはほとんど感じないのでありがたいが、
私も日なたへいく。ぬくぬくしていい気持ち。

 建物の中はとても寒い。地下の部屋に通されて荷物をおき、上着をぬいで
半袖のシンポジウムTシャツになる。とにかく寒いぞ〜!昼でも薄暗い大広間があり、
あまり寒いのでそこを駆け回って遊ぶ。(犬か私は)
 会場へ上り、祭壇のような狭い壇に並ぶ。狭い上に両わきに階段などで斜めの空間が
あったりして、ぎゅうづめである。一番上の壇は2階席と同じくらい。その2階席には
ソプラノパートリーダーおぐさん(新婚さん)のご主人が、さわやかにビデオカメラを
構えて(体育の先生なのだ)座っていらっしゃった。

 昨夜ご到着の三善先生は、何回か日本でお見かけしたときの印象と変わらず、
静かな空気をご自分のまわりにまとって、黒っぽいスーツでひっそり立っていらっ
しゃった。原稿の確認中のようだ。
 日本にいる間に講義の原稿を、日英両方いただいたので、だいたいの流れは頭に
いれた。私たちが歌う時間と、講義の時間が半々くらいになるのかな、この感じだと。
 もうすぐ開始というころに、お揃いのトレーナーを着た日本の子供たちがぞろぞろ
入ってきた。田中信昭先生のワークショップに呼ばれた、多治見少年少女合唱団の
子供たちだ。彼らが入って、客席はほぼ満席になった。

 講義が始まった。
 三善先生は決して流暢な英語ではないけれど、原稿を見ないでお客さんに向かって
話しかけていた。その合間に私たちが歌う。私たちが歌っている間、三善先生は
椅子に座るでもなく、じっと頭を垂れて聴いていらっしゃった。(でも。一回だけ
一番前の客席に座って、こっちを向いてにこにこしながら聴いていたときがあったな、
「阿波踊り」のとき)

 最後の曲は、「唱歌の四季」より「夕焼け小焼け」である。
 多治見の子供たちは歌ったことがあると聞いていたので、栗山先生の呼び掛けで
一緒にステージで歌ってもらう。みんな多少恥ずかしそうだけど、それでも
うれしそうにステージへ上がってきてくれた。
 ソプラノはとても高い音が出てきて大変なのだが、子供たちが頼もしい。
つられて力一杯歌ってしまう(影響されやすいたちなので)。
 それにしてもこの編曲は、ほんとうに美しいよお。うるうる…

 さて、質疑応答の時間だ。
 さっそく手が挙がったので、自分が答えるわけでもないのに思わずどきどきしたが、
質問の内容は、「昨日のOMPの宇宙についてを見たが、あのような形態の曲は日本では
よく演奏されるのか、どのような練習をするのか」といった、三善先生にはまるで
関係のないものが続く。今日の質問をしなさい、今日の。
 三善先生への質問は、あまりつっこんだものではなく、ちょっと拍子抜けする。
 きっとわかりやすい説明だったのだろう。例として曲も聴かせたし。

 アンコールが来た。栗山先生がみんなに向かって「何をやる?」と聞く。
 今回ステージにはのせなかったが、念のために練習した曲として、三善先生の組曲
「地球へのバラード」の終曲「地球へのピクニック」が残っていたので、それを
力一杯歌って、おしまいになった。この曲好きだから、歌えてうれしかった。

 やれやれ、お疲れさま。でも今日はまだまだ長いのだ。
 お昼を食べるウェントワースホテルまでバスに乗る。今日は私たちは出演者なので
昼も夜も事務局が食事を用意してくれる、ただし40人分。
 若い人から優先してチケットをもらえるので、私ももらえた。会議室に、紙皿に
のった一並べのサンドイッチと、ジュースと丸ごとのリンゴなど。サンドイッチを
半分食べて、もしものときのために残りをラップでくるみ、リンゴと一緒にしまう。
 …さすがに、ここまでサンドイッチが続くと、ちょっと飽きるなあ…。


イブニング・コンサート(OMP 武満徹「うた」、三善晃「カムイの風」他)

 午後はまたバスに乗って修道院へ練習をしにいく。  見慣れた道をバスは行く。バスの中で、コアラ氏が録音した先ほどの演奏が流れる。 あちこち音が割れているし、けっこう力任せの演奏のように聞こえる。録音機材 のせいかもしれないけど、ちょっと反省。  今日でここに来るのも最後なのでちょっと寂しい。  三善先生もいらっしゃって、今夜のコンサートの曲目「うた」と「カムイの風」 を見ていただく。先生は今夜の飛行機でお帰りになってしまうので、残念ながら 本番は聴いていただけない。一言たりとも聞き逃さないぞ。みんな真剣。  先生は静かに聴いていらっしゃって、区切りで一言二言、アドバイスをくださる。  本番をいくつかこなしてのってきたのか、練習もいい雰囲気になってきた。 でもそんなに満足しているわけじゃなくて、もう少しうまく歌えるようになりたいな、 とはやっぱり思うけど。  三善先生が帰ってしまわれる前に、みんなで中庭でティータイムにする。  今日もおいしそうな手作りのお菓子が出される。うれしい。本当にここの人たちに はよくしていただいた。お茶とお菓子と日なたぼっこで、ちょっと一息。  相変わらずハトはいるけれど、今日は大勢中庭にいるので、屋根の上から降りて こない。先生方を囲んで、ちょっと長めのティータイムになった。  夕方まで練習をして、すっかりお世話になった修道院にさようならをし、バスに 乗り込んだ。17:00にはサウンドチェックが始まるため、すっかり舞台衣装に着替えて オペラハウスのステージへ集合しなければならない。もうあまり時間がない。  しかも道が混んでいる。 「すいません、化けていいですか?」  男性のお許しを得て、顔だけでも何とかしておこうとお化粧を始める人もいるが、 いちおう車は動いているので、あまり込み入ったことをすると手元が狂う。  なんでサウンドチェックなのに舞台衣装を着なければならないかと言うと、基本 的にオペラハウスの中は写真などの撮影が禁止されているからである。特に演奏中は ご法度だそうで、そのためにサウンドチェックの時に集合写真も演奏風景もまとめて 撮影してしまうのだそうだ。  ふうん、そのわりに観客の荷物検査なんてないし、平気でフラッシュたいている 人もいたけどなあ。まあ、いいや。  着いたのはぎりぎりの時間で、オペラハウスの少し手前で降ろされ、中に駆け込む。 しかし夕暮れのハーバーブリッジをバックに集合写真をとり始める人たちもいて、 実行委員に怒られている。  迷路のような廊下を降りて、通された部屋は楽屋と言うより倉庫に近かった。  広いし、ロッカーも椅子もあるし、ピアノなんかもあって、お手洗いもついている のだが、どうも雑然としていて、鏡は姿見が一枚だけ、隣の部屋とは板で仕切られて いるだけで、そこを使っているらしいうちの合唱団の男性の話し声が聞こえてくる。  みんなが衣装に着替えてお化粧に取り掛かり始めた頃、何やら外が騒がしい。  隣の部屋にいたうちの男性が、荷物をこっちの部屋におきたいと言っているようだ。  ということは、私たちにあてがわれているのは、この広い一部屋だけなのね。  う〜ん、他の国の合唱団は舞台衣装に着替えたりはしないのだろうか、普通。  とりあえず、全員が一通り化け終わるまで待ってもらう。  しかしぼやぼやしているヒマはなくて、すぐ案内係の人がきて、狭い廊下をくねくね 歩いてステージへ。この込み入った廊下は何なんだ。一度じゃ絶対覚えられないわ。  急にステージについた。急いで山台に上って並びを決め、空っぽの客席に向かって 一通り歌ってみる。  ステージはそう広いわけでもないし、見た目はどうってことはないけれど、 反響して返ってくる音がすご〜く気持ちいいのだ。やはりただものではない。  山台を並べかえてもらったりして、やっとサウンドチェックが終わったと思ったら、 オペラハウスをバックに集合写真をとるといって、外の階段に連れていかれる。  ご存じの方も多いと思うが、OMPの女性の衣装は袖なしのロングドレスなのである。  そして外は冬の夜。予想通り、風が冷たい!!  本番直前に冷えてしまっては多少歌うのに差し支えるので、さっさと終わらせよう と、あわてて階段に整列し、カメラに向かってかしこまり、フラッシュが光るのを 確認し、よーし次、とわさわさ動き始めると、 「Don't move!Don't move!」 カメラマンがどなるではありませんか。  何度かこれを繰り返し、少し離れたところにいるカメラマンとやりとりをして 判明したことは、高感度カメラだし夜なので、ちゃんと写るまでに時間がかかる ため、数十秒くらいじっとしていなければならないそうな。  じゃあしかたないわね。言われたとおりにして6枚ほど撮ってもらい、OKが出た 瞬間、一目散に控室に逃げ帰った(寒がりなのだ私は)。  あとは本番までフリーになった。私たちは4団体中最後なので、あと2時間近く ひまがある。面倒なので着替えるのはやめ、ドレスの上に上着を羽織って、 控室のそばのカフェテリアへ夕食を食べにいく。  ただ券が例によって40枚あったが、お昼の残りのサンドイッチとリンゴを 包んであったので、それを持ってきて、スパゲティやらなんやらを食べている みんなの隣に座って食べる。飲み物は自動販売機があったけど、いまいち何を どうやって売っているのかぴんとこない。オーストラリアは高額の硬貨ほど 小さくなるので、小さい硬貨を入れると、それよりも大きい硬貨がどかどか おつりで返ってきて、パニックになっている人もいる。落ち着きなさいってば。  20:00、コンサートが始まったようだ。  カフェテリアのモニターには、ステージの様子が映っている。  しばらくたたずんで見てから、楽屋に戻ると、栗山先生がいらしていて ダメ出しが始まる。  ピアノもあるので、要所要所は歌いながら、じっくり確認する。  ダメ出しがひととおり終わり、あとは各自でベストコンディションにもって いくだけだ。楽譜をじっと見たり、軽く声出しをしたり。私は体力温存型なので 楽譜を見ながらじっとしているのが一番なのだが、どうもあまり空気のきれいな 部屋ではないので、曲のことを考えながら外の廊下をうろついたりしてすごす。  さすがにみんな、顔が真剣になってきた。  ついに係のおじさんが呼びに来た。  羽織っていた上着を放り出して、廊下に並んで移動する。  ソプラノから入場するので私が先頭だった。やっぱり道順が覚えられない。 ひたすらおじさんについてうねうね歩いて、止まれといわれたところで止まる。  ここがどうやらステージソデのようだ。でもどこがステージなの?  私たちが待機させられたのは、細長い部屋のようなところだ。  明るいし、多少荷物や機材がおいてあるほかは、あまりステージわきという 感じがしない。だいたい、私たちが上手にいるのか下手にいるのかもこれでは わからないのだ。私とルームメイトT嬢が先頭だったのだが、その周辺の人たちが 急に不安になり始めたので、実行委員とステージ係の事務局の人たちに大騒ぎで 確認して、ようやく上手側にいることがわかった。これでいいのよ、これで。  あたりを見回すと、向こうに部屋のようなものの入り口が見える。その部屋には、 壁掛け鏡といすがずらりと…なんだ、ここが本当の楽屋なのね。ちょうど ステージの裏手にあたる空間を利用して、狭いけれどきれいな楽屋が作られていた。  ステージ係の女の人が、衣装が美しいとほめてくれた。  ステージ係がいるのは薄暗い片隅で、そこには機材とモニターがある。モニター には今演奏中のハンガリーの合唱団が映っていた。  ハンガリーというと、去年青い鳥で演奏旅行にいったので、他人のような気が しない。その合唱団も、ハンガリーで聴いたことのある、懐かしい力強い響きの 歌を歌っていた。T嬢が隣でステージ係のお兄さんと親交を深めているのに 目もくれず、楽しく聞きほれる。 (昨年一緒にハンガリーへいった妹はこのとき観客になっていたのだが、ここの 演奏を聴いていわく「これでもか!っていうくらいハンガリーだった」)  何だかすごく、いいな。歌いたいように歌っていて、それが人に聴かせる音楽に なっていて、何よりとても楽しそう。  演奏が終わり、壁の向こうから聞こえる大きな拍手と歓声が、目の前のモニターの スピーカーでさらに大きくなって聞こえてきた。私も一緒になって拍手する。  と、突然目の前の壁が開けて、その向こうにステージと観客が見えた。  今まさにハンガリーの合唱団が拍手に送られステージを去って、暗転したところ。  あ、こうなっていたのね。あまり唐突に目の前にステージが現れたので、ちょっと うろたえた。そうだ、拍手なんかしている場合ではなかったのだ。  よ〜し、楽しく歌おうじゃありませんか。私たちも。  それに正直いうと、ずっとオペラハウスでは聴かされているばかりで、歌いたくて ちょっと心の底ではうずうずしていたのだ。さあいくわよ。  係の女の人にゴーサインを出されて、私とT嬢はステージへ向かった。  ステージに先頭を切って入っていくというのはなかなか快感である。  暗転中なので観客はざわざわしている。暗い中をT嬢と並んで歩いていき、 山台の端で止まって正面に向き直る。  客席の奥行きが深く感じる。一番後ろの観客が遠くに見える。んで、 末広がりの客席で横にも後ろにも客席があって、すり鉢の底にいるような 感じもする。空いている席が多いけど、知名度と実力を考えればしかたない だろう。お客さんの顔は暗くてよく見えない。  並び終わってライトがつくと、どよっとどよめいてから拍手が起こった。 どうやら女性のドレスにびっくりしたようだ。そうね、そういえば今まで オペラハウスでみたどの団体も、もっと普通の衣装を着ていたわね。  栗山先生と浅井先生が入ってきて始まり。  響きがよくてほんと歌いやすいホールである。歌うのが楽しい。  OMPはのってくるまでに時間がかかるので、「うた」はいまいちのりきれて いなかった部分もあったけど、「カムイの風」は一番いい出来だった。これなら 今ごろ機上の人である三善先生も喜んでくださるだろう。生で聴いていただけ なかったのは残念だけど。  「カムイの風」はアオバトの神様の物語で、ハトや小鳥の鳴き声を模した音が たくさん出てくる。どうしても鳥らしい声や雰囲気が出せなくて、シドニーに 来てからも公園でパンをまいてはハトを呼び寄せ、観察したりしたけれども、 今日の演奏はその成果か、だいぶハトっぽかったんではないか、というのが みんなの一致した意見だった。  楽しい25分間が終わって、拍手をもらって楽しく楽屋に引き上げた。  「お疲れさま〜!」  みんな晴れやかな顔である。私も解放感にあふれて、一緒に引き上げてきた 浅井先生に握手してもらったりする。  私たちが最後なのでそんなに時間は気にしなくていいようだが、打ち上げを やるというので急いで身支度をする。  向こうのほうで若い娘の一人が、黒のパーティドレスを着て注目を集めている。  洋服に着替えていると、林さんがやってきた。  「着物持ってきたけど、どうする?」  着物、私も一応持ってはきていた。トランクに忍ばせておいたはいいが、 着る機会がなくて、一度くらいは着ようかな、と思っていたところだった。  「着ている時間、あるかな?」  林さんは確か便利な着物ですぐ着られるはずだけど、私は一から着なければ ならない。まあ、ハンガリーで20分で着たりしたし、着付けも一通り習ったから なんとかなるか。  「よし、着ましょう」  幸い、着付けを知っている人たちがサポートしてくれ、大急ぎで着替えて 打ち上げ会場へ行く。打ち上げ会場はオペラハウスの紫の間(本当にそういう 名前かは知らないが)で、ハーバーブリッジがよく見えるホールの裏のほうの スペースだった。照明も暗めでいい雰囲気だ。  打ち上げはとにかく盛り上がった。  みんな一応いいかっこをしているし立食パーティだったのだが、次第にノリは 合宿最終日の夜の宴会における演芸会状態になっていき、ハーバーブリッジが 見えなくて床が畳なら、岩井海岸と間違えそうな雰囲気である。内輪だけだから とはいえ、いいのだろうか。というのはすべて終わって落ち着いてから考えた ことで、そのときは自分も盛り上がった状態だったので、一緒におもしろがって 大騒ぎしていた。何か解放された、という感じで。  解放、って何からだろう。日本代表なんてたいそうなプレッシャーはもとより 私は持っていなかったし、もし無意識に何か重圧があったとしても、それからは オペラハウスのステージに出た時点ですでに解放されていたと思う。歌っている 間は幸せだったし。まあとにかく大事なステージが無事終わった、ということで。  それにしても、ハーバーブリッジをバックに往年の宴会芸が繰り広げられる さまは、感慨深いものであった。  外国の人は「日本人はみな眼鏡をかけて首からカメラを下げている」と考えて いるという話だが、それを裏づけるようにカメラを持っている人が大勢いた。 着物姿で、ホステス気分でうろつきまわっていた林さんと私は被写体にされる ことが多く、終わるころにはすっかりカメラ目線と立ち方が身についてしまった。  また、今夜は仕事の都合で東京に来て以来、団員として一緒に歌ってきた 合唱団MIWOの代表のSさんが、OMPを去る日でもあった。  OMPでもあったかくて楽しいお人柄でみんなの人気者だったSさんと、みんな かわりばんこに別れを惜しんでいた。ありがとう、また来てね。  だいぶ大騒ぎして、ようやくおひらきになったのだが、団内指揮者は4人がかりで 支えられているし、みんな名残を惜しんで動こうとしない。  みんなで海辺の道をホテルまでぶらぶら歩き、部屋に戻って片づけをして、 やれやれとベッドに入ったのは1時すぎ。長い一日だった。  ルームメイトのT嬢は、オプショナルツアーでケアンズに行くため、明日から みんなと別行動になる。明日は早いというT嬢と一緒に、お休みなさい。

■8月14日(水)

 枕元の電話が鳴った。まだ真っ暗で、時計を見ると2時半だ。
「もしもし〜?」
電話をとると、宴会部屋からのお誘いだった。最後だから顔を出さないかと
いうので、部屋着のワンピースにシャツを羽織り、冷蔵庫からジュースを1本
取り出して(ノンアルコール飲料はないだろうと予想されたため)、宴会部屋へ
向かう。

 すでに大盛況で、座る場所もなく通路にまで人がごろごろ座っていたが、
奥のほうが空いているというのでたくさんの足をまたいで奥に行き、空いている
ベッドの上のスペースに陣取る。陣取れたはいいがそこから動くことは不可能に
なり、そばに来てくれた人としかお話ができなかったが、ソプラノの将来に
ついて語り合ったり、昔の合宿のおもしろい話を聞いたりなどして、楽しく
過ごした。ふだん宴会に出てこない若い娘も、今日ばかりは腰を据えて楽しんで
いる。
 でもさすがにくたびれて眠くなったので、4時前には部屋に戻った。

 目を覚ますとすでに10時近くで、別に予定はないけれども、一応起きて支度を
する。私より遅くまで飲んでいた妹も起き出した。
 うちの妹は馬を見るのが好きで、OMP一の競馬ファンTさんと、これから競馬場に
行く約束をしたんだそうだ。天気もいいしおもしろそうなので、ついていくことに
する。

 出発前にちょっと待っていてもらって、オペラハウスの売店までいって、
いろいろお土産を買い込んでから、サーキュラキー駅から電車に乗っていく。
 オーストラリアは競馬が盛んで、町のあちこちにTAXという場外馬券売場がある
(のぞき込んだら日本のウインズよりはずっときれい)。競馬場もいくつかあって、
一番大きいのはランドヴィック競馬場だが、これから行くのは郊外にあるカンタベリ
競馬場だそうだ。電車が進むにつれて、だんだん畑や赤いレンガの低い家が多い
のどかな風景になってきた。

 小さい駅で降りると、駅前にはドラッグストアやお菓子屋さんが並んだ、日本の
小さな駅前によくあるアーケードが。そこからバスに乗って、さらに町外れに
いったところに、競馬場があった。

 入場料$6を払って入ると、まず予想屋さんらしき人たちがお店を並べている
ところを通り過ぎて、メインスタンドの前に出る。思ったよりきれいで立派だ。
 立派な部分のほとんどは会員専用のようだが、一般人に開放されているところも
まあまあきれいで、人のよさそうなおじさんやおばさんたちが、芝生の上の
ベンチに座って、風に吹かれながらわいわいやっている。
 飲み物やホットドッグを買って、スタンドに座る。すでに9レース中3レースが
終わっていて、妹とTさんがさっそく持参の新聞と出馬表を見比べながら、
予想を立て始める。英語だし、しかも日本の競馬新聞なみに暗号化されている
ようで、かなり時間がかかっている。
 何度かレースを見て、新聞と見比べた結果、どうやら新聞の予想の見方が
わかり、しかもけっこうその予想が当たるらしいということが判明したようだ。
そこで、私以外の二人は何度か大ばくちに出て、Tさんは2度も万馬券を当て、
妹もそこそこもうけたようだ。私は2回買ってみたが、どちらもぱっとしない
結果だったので買うのはやめ、広々とした競馬場の雰囲気と、首を振り振り走る
馬を見て楽しむだけにした。ちょっとからっ風が強いけど、気持ちがいい。
 メインレースで妹の買った馬が勝ったので、ウイナーズサークルの前にいって
馬を入れて記念写真をとったりする。馬は自分が勝ったことを知っているのか、
なんとなく得意そうにポーズをとっている。

 最終レースが終わると日が傾き始め、風もちょっと冷たくなった。
 また同じコースをサーキュラキーまで帰り、夕ご飯にホテルのそばの関西うどん
の店で焼き鳥丼を食べる。もうけた二人がおごってくれるというので、ありがたく
おことばに甘える。ギャンブラーの仁義なのかは知らないが、泡銭は人に還元する
ものなのだそうだ。いいことだ。
 そこのお店は値段も手ごろで、まあまあおいしかった。お店の上には日本の
雑貨を売る店があり、インスタント食品や冷凍食品、お酒の肴になる食料や、
文庫本の古本、はては日本のテレビ番組のビデオテープまでがずらっと並んで
いた。ビデオのほうはダビングサービスもしているそうだ。
 こんなお店があるなんてすごい。需要があったからなのだろうけど。


クロージング・コンサート

 部屋に帰って着物に着替え、クロージングコンサートの会場のタウンホールへ。  何度か移動中に前を通ったが、中に入るのは初めてである。ヨーロッパの昔の 大聖堂、という感じの、どっしりした古めかしい建物である。  演奏するのはChoir of St.John's Collageで、小さい男の子と男性の合唱団 で、それはそれは清らかで安らかなハーモニーをつくる。 クロージングコンサート Choir of St.John's Collage,Cambridge(Director of Music:Christopher Robinson) Gaude,gaude,gaude Maria virgo(John Sheppard) Toccata and Fugue in D minor(J.S.Bach) Ave Maria(Anton Bruckner) Ave Maria(F.Mendelssohn-Bartholdy) Ave verum corpus(W.A.Mozart) Magnificat(G.Finzi) -----INTERVAL------ Songs of Springtime(E J Moeran) Allegro Vivace from Symphony No.5(Charles-Marie Widor) Three coronation anthems: Thou wilt keep him in perfect peace(S.S.Wesley) O hearken thou(E.Elgar) I was glad(H.Parry)  本当に澄み切ったどこまでも通る声で、しかもタウンホールは広々している上に 天井もすごく高いので、きれいに響き渡っている。  あまり安らかな音楽だったので、前の席の人たちはみな首がかくかくしていたが、 よく見たらみんな、今回の実行委員の人たちだった。これはおおめに見なくては。 この人たちが一番大変だったのだから。  コンサートは早めの時間に終わり、合唱シンポジウムのクロージングセレモニーが 続けて行われた。いろんな人のあいさつと、ユネスコ賞の発表(タピオラ合唱団が もらった)、そしてタウンホールのパイプオルガンに合わせて全員合唱である。  曲目は「The Song of Australia」、オープニングコンサートの最後に聴いた 「We are The World」に似ている曲だ。  これで合唱シンポジウムがすべて終了した。  タウンホールは古い建物のせいか、たくさん人が入る割りに出入口が小さく、 外に出るまでが大変だった。ようよう外に出ても、タクシーを拾う人や、地下鉄の 駅に向かう人で道は大変な込みようで、そんな混雑の中にいるよりはと、何人かと 一緒に、歩いてホテルまで帰る。15分くらいだし。  連絡があるというのでロビーで待機していると、栗山先生の発案で打ち上げを やることになったため、急いでお店を取ってこれからいくという。  う〜ん、そりゃ明日は帰るだけだけど…まだ荷物をまとめていないから、 今夜なんとかしないと、明日ブルーマウンテンに行けない。それに急にお店を 取ったため20〜30人くらいしか出られないという話を聞いたので、それなら いいやと、行かないことにして部屋へ戻る。 (後で聞いたらお料理もおいしく、とても盛り上がったそうだ)  トランクの中を整理し、部屋の引き出しのものを詰めたりなどしていたら、 結局今日も1時過ぎまで寝られなかった。

■8月15日(木)

オプショナルツアー(ワイルドライフパーク/ブルー・マウンテン)〜帰国

 シドニー最後の朝だ。
 いつもの若い娘たちと一緒に、ホテルのそばのホットサンド屋さんに行く。
 なすとハムのホットサンドがおいしそうだったので、それとしぼりたての
キャロットジュースにする。ジュースはガラスケースの中の野菜や果物を
その場で切り取ってしぼってくれる。スイカのジュースもわけてもらったけれど
おいしかった。
 しかしあまり時間がないため、急いで食べてホテルへ戻り、ケアンズへ
後から出発するT嬢と、起きたばかりの妹に後を頼んで荷物を運び出し、
ブルーマウンテン観光のバスに乗る。
 ほとんどみんな行くようだ。私の隣は若い娘仲間のY嬢で、前の席には
林さんと唐澤さんが座る。
 バスが走り始めた。日本人のガイドのお姉さんが話し始める。オーストラリアの
気候について、オージー気質について。オージーはのんきで、仕事を頼んでも
納期という概念がなく…
「夢のような国だ!」
「移住しよう!」
以上、林さんと私(某電機メーカー関係会社勤務)の心からの叫び。
 こんな調子で、ひたすら4人でガイドさんのしゃべりに突っ込みを入れ続けて
すごす。ふと辺りを見回すと、私たち以外は全員熟睡しているようだ。
 昨夜の打ち上げのすごさがうかがい知れる。そうでなくても、疲れがたまって
いるのに。

 バスは高速道路に入る。料金所が大味で、大きなろうとのようなものが
ついた機械があって、そのろうとにお金を投げ込むだけでよいのだ。
 さらに、料金所があるのは最初の入り口だけで、途中の入り口から入る分には
無料で走れるのだそうだ。
 なんというか、おおらかだ。

 1時間ほど走って、最初の目的地であるワイルドライフパークへ。
 ディズニーランドなみに広い駐車場に、車はほとんどとまっていない。
 適当にバスをとめて中に入る。
 たまたま新進作曲家コアラ氏がそばを歩いていたので、コアラをだっこするまで
ついて歩くことにした。風貌が似ていると評判の彼と本物のコアラを並べてみる
数少ない機会であるし。

 コアラは夜行性だそうだ。おりの前を通ったら、ユーカリの木の実のように
丸くなって枝に取りついて眠っている。でも1頭は起きていて、毛づくろいを
して客を喜ばせている。何か、当番のようなものがあるのかもしれない。

 コアラをだっこするため長い行列に並ぶ。
 コアラをオーストラリアでだっこできるのは、今年いっぱいである。コアラは
とても神経質で、人間が触るだけでもストレスを感じてしまうのだそうだ。
 だっこする、といっても、実際にはコアラがひしっとしがみついてくれるわけ
ではなくて、爪が鋭いためまずぬいぐるみにしがみつかせ、それを手の上に
のせてくれる。コアラの重さはわかるけど体温と感触はわからない。
 長い行列もだんだん進んで、ようやくコアラをのせてもらった。
 ポラロイドカメラで写真を撮ってもらい、ちょっと背中をなでて返す。

 できあがった写真を見たら、私のコアラはそっぽを向いていた。
 理由はすぐわかった。コアラの視線の先にはコアラ氏がいたのである。
 やはり何か感じるものがあったのだろう。しかもコアラ氏の写真を見せて
もらったら、コアラは安心しきったように胸にもたれて眠っている。
 結論、彼はやっぱりコアラであった。今夜出国できるのだろうか。

 あとは、ワラビーやウォンバットを見て過ごす。
 ウォンバットは食事中で、おしりしか見られなかったが、胴も手足も短くて
とてもかわいい。ほおづえをついて横向きに寝ている、とてもアンニュイで
色っぽいカンガルーがいて笑えた。エミューは柵に入っていたが、柵に自由に
入れるようになっていて、みんなでこわごわと大きいエミューを囲み、一緒に
写真を撮らせていただく。
 水辺には、頭がぼさぼさのカワセミや、お座敷ペンギンのように小さく、
家庭用の冷蔵庫でも飼育できそうなフェアリーペンギンもいた。
 私の好きなカモノハシがいなくて残念だったけど。

 集合時間になり、ブルーマウンテンに向けて出発した。
 ブルーマウンテンとはユーカリの生い茂る山々のことで、ユーカリの発散する
油分と日光が反応を起こし、晴れた日には山々が青く見えるのだというが、
今日はあいにく曇りで、よくわからない。
 道路わきにはぽつぽつ家が並んでいる。自家用車がなければ絶対に住めない
であろう。しかし家はあるのに人影がまったく見えず、不安になり始めたころ、
西部劇に出てくる街のようなにぎやかな街につき、そこのモテルでお昼を食べる。
チキンの薄切りカツとアイスクリーム。テーブルの上には塩こしょうに混じって
ヤマサ醤油の瓶があった。

 バスはさらに奥へ進み、ロープウェイとトロッコの駅に着いた。好きなほうに
乗っていいのだそうだ。トロッコは最高傾斜45度でスリルがあると聞き、絶叫
ものの苦手な私はKクンとロープウェイに乗る。
 乗ってみると日本のと同じような作りだったが、窓がガラスではなく金網
なのだ。しかも窓枠から張り出すように取り付けられていて、金網と窓枠との
間には広いすき間があいている。手を放せばカメラくらい落ちてしまう。
 真下は見えない。木が生い茂っていて、山肌を滝が流れ落ちているが、滝の
流れ落ちる先は下過ぎて見えない。風が強く、揺れながら進んでる。
 これは、ちょっとこわい。
 やがて、スリーシスターズという、山の上の3本の大きい岩がよく見える
ポイントで止まった。風で揺れる。スリーシスターズをカメラに収めようと
人が動き回るためよけいに揺れる。
「バンジージャンプやらんかね?」
係のおじさんに笑いながら突っ込まれ、みんな悲鳴を上げる。
 ほどなく動き出し、すぐに駅に戻ってきたが、じわじわとこわくてなかなか
楽しい時間を過ごせた。

 トロッコの人たちも帰ってきた。
「ぜーんぜんこわくなくて、つまんなかった」
「そう?こっちは、実はこわかったよ」

 あとはお土産を見て過ごす。
 コアラのぬいぐるみ型のリュックを見つけた。かわいくてとても心ひかれる。
しかし、日本でこれをしょって歩けるか?抱きかかえて自問自答していると、
ちゃむさんもやって来て、カンガルーのリュックを体の前にしょって、
「アコーディオンの○森○三です」といって笑いを取っている。
 結局ギャグが受けたのに満足したのか、ちゃむさんは購入を断念した。
私も泣く泣くやめたが、今度出会ったら縁があったと思って買おうと決めた。
 バスの中には着々とぬいぐるみの数が増えつつある。

 次は展望台である。スリーシスターズがよく見える。
 アジア系観光客が非常に多く、なかなかいい場所が空かない。
 でも、すごい。どこまでも、どこまでもユーカリの山が広がっている。
 はじっこがわからないくらい、広い。
 ここは大陸だったのだと思い出した。広いな、大きいな…

 帰りのバスは、さすがに熟睡した。
 道端に黄色い木がたくさんある。オーストラリアの国花、ワトルツリーだ。
 今年は暖冬だったので、例年より早く満開になったそうだ。

 有名な免税店、デューティーフリーショッパーズの前で降ろされた。
 今更免税品を買う気はしないが、お土産は見たい。
 「スヴェルトをお買い上げの方に…」という日本語のはり紙が悲しい。
通り抜けてお土産売り場へ。ここも私たちを含めて、日本人でいっぱいだ。

 そして、ここで再会してしまったのだ。コアラのリュックに。
 ブルーマウンテンで見たものより安くて、リアルさに欠け、かわいい系に
デフォルメされているコアラだったが、ここで会ったのも何かの縁、よし、
買って帰ろうじゃないの。

 パンとミルクを買って、Kクンとロックスの公園のベンチで食べる。
 目の前には大きなオペラハウスがそそり立っている。何だか迫ってくるみたい。
 私たちはここに歌いに来て、そしてここで歌ったのねえ。
 眺めて感慨にふけっていたらつい、二人ともまじめモードに入り、OMPの
行く末について真剣に語り合ったりした。だんだん暗くなって、屋根の白さが
目立ってくるオペラハウスも、今日で見納めなのね。

 ホテルのロビーは私たちの荷物がいっぱい、それにしてもDFSの袋の多い荷物だ。
 コアラリュックは、紙袋に入れたままでは何となくかわいそうだし、かえって
荷物になるので取り出し、小物を入れてしょう。

 19:00、私たちはシドニールネッサンスホテルを後にし、空港へ向かった。
 大人数なのでバス2台に分かれている。私の乗ったバスには事務局の
キャサリンさんが乗っていて、最後に演目の一つだったオーストラリア民謡を
歌ってと頼まれる。コアラ氏が編曲したもので、邦題は「調子をそろえて
クリック・クリック・クリック」と「ガンダガイへの道」である。
 バスが長くて、前のほうとの連絡が取れずすったもんだしたが、なんとか
2曲歌ったら、大喜びしてくださった。キャサリンさんのちょうど斜め前に
コアラ氏がいたので、みんなで「彼がアレンジャーで、ニックネームはコアラ
である」と紹介したら、ますます喜んでくれて、小さなコアラのクリップを
あげていた。

 空港についてチェックインを待った。大人数なので時間がかかるそうだ。
 修道院のローラさんが見送りに来てくれた。最後まで優しい人だなあ。
一緒に記念写真を取ってもらう。

 荷物を預けてお土産屋に行き、残ったドルを使い切る。
 でも空港内には、余った小銭を入れる募金箱もあったし、機内ではユニセフに
寄付するための袋も配られたので、無理に使い切ることもなかった。

 搭乗時間が近づいたので出国手続きを済ませる。
 たくさんのコアラやウォンバットを連れていたが、全員無事に出国できたようだ。
 私もコアラをしょって歩いていたら、空港のおじさんがコアラの背中をぽんぽん
たたいて、別れを惜しんでくれた。

 飛行機は時間通りに離陸した。私たちとコアラとウォンバットを乗せて。
 今回の席は何も考えずアイウエオ順で決めたのだそうで、同席の人が新鮮である。
 夕食がでないかもと聞いたのでパンを食べておいたのに、シーフードカレーが
出た。でもおいしそうだったので食べる。
 歯を磨き、顔を洗って寝る準備をしたが、どこからともなくカンガルージャーキー
が回されてきたり、飲んでハイになっている妹が遠くの席から遊びに来たりして
(ちなみに妹は今日、半日は市内のタロンガ動物園を見て、半日は栗山先生の
お買い物につきあったのだそうだ。タロンガはサービスのいいところで、園内を
クジャクが歩き回っていて、お客に会うと羽根を広げて見せてくれるらしい)
なかなか寝られない。でも、寝よう。

 空港で、今日の東京の気温は39度あった、と聞いて、みんな一瞬帰るのやめ
ようかと思った。
 明日の朝には成田に着く予定である。ちょっと覚悟しておこう。

 後日談:帰国してから、OMPはいろんなイベントに個人レベルで参加したり、
     台風合宿にいったりドイツ語に苦しんだりで、シドニーのことを
     ふりかえるヒマもなかったが、北風が吹くころになってなんだか
     思い出すようになった。なぜかと思ったら、みんながシドニーで買った
     トレーナーやらセーターやらを練習に着てくるようになったから。
     そうだ、シドニーは冬だったからだ。なるほど。
(終わり)


川嶋いずみ ETN19816@pcvan.or.jp