川崎徹朗

5月15日 エクス・アン・プロバンス観光

担当 川崎徹朗

 この日は8時にモーニング・コール。前日がアビニョン観光で1日中歩き回っていただけに、起きるのがおっくうである。ともあれ、スーツケース出しが9時半なので、もう一眠りできそうである…。

 出発予定は10時。レストランで朝食をとったあと、少し時間に余裕があったのでロビーで時間をつぶす。

 ロビーではK山君がデジカメの説明書を読んでいる。何でもいままで使っていた普通のカメラ(フツカメ)をどこかに忘れてきてしまったので、急遽、いちおう持ってきていたデジカメに切り替えているのだそうだ。しかもアルカリ電池で作動する機械なのに、普通の電池をもってきてしまったために、数回電源をいれたり切ったりしていたら、瞬く間に電池を消費してしまい、悲鳴をあげている。たまたま私はアルカリ電池を持っていたので、彼に提供した。しかも言い値で(イイ値ではない)。

 予定の30分遅れでバスが出発。今日の予定は終日エクス・アン・プロバンス観光である。昨日に引き続いてまったく優雅なツアーである。まあ演奏会は終わったのだからゆっくりしてもバチはあたらないか(演奏会前でも観光をしない訳ではないが…)。

 その道すがら、バスの中で「今は時間があるので…」とTちゃんが案内を始める。6月1日に益田市で行われる演奏会の連絡だ。聞けば、17日に帰国したその日の夜に練習がセットされているらしい…「そんな、皆疲れているだろうに…」と思う間もなく、「響の人は、(METTA SUTTAは)歌えるからといって、休まないで下さい。歌える人が中心にならないと練習にならないので、必ず来てください。」とのこと。ああ、なんとタフなんだろう。いきなり現実に引き戻された私は、一瞬のけぞりそうになったが、何とか気を取り直し、「まあ帰ったあとのことは、その時考えればいいや…」とその日の観光を楽しむことにしたのであった(後日談:結局その日の益田練に私は誰よりも先に駆け付け(正確には時間より遅れたが)、飲み会にまで出席し、おかげで、次の日、会社に遅刻してしまった…)。

 11時半に今日宿泊するホテルに到着。まだチェックインできないので、荷物だけおろして、再びバスへ。

 12時過ぎにバスはホテルを出発、12時半にシャルル・ド・ゴール広場に到着した。

 この日は、終日フリー観光で、夜には打ち上げをやるということと、集合場所と時間を確認して皆それぞれ自由行動へ。とにかく暑い。早く冷たいビールを飲みたい我々は一路レストランへ…。

 しかし昼飯時だけあって人が多い。この国の習慣なのだろうが、レストランには大抵、店の前の公道の上にテーブルと椅子を並べ、そこで食事ができるようになっている。そしてこの日のようにとっても暑い日で、日向に面していようが、とにかくそこで食事をとるのである。店内で食べるよりも料金は高いそうだが、とにかくその外の席も含めて人があふれている。しばらく街を歩きまわっていてもとても入れるような状態ではないのである。(もっとも10人以上の集団なので、どこでもそう簡単には見つからないかもしれないが)

 そうこうしている時、緑が生い茂り、木陰の涼しげな、とある広場でのできごと。レストランが軒を連ね、屋外の座席も例によって人でにぎわっている。ここは特に屋外の座席には幌が設けられており、何かリッチなムードである。「ここも人でいっぱいだねえ。いいところだけど、もっとほかの場所を探したほうがよさそうだね…」などと話をしていたところ、絹をも裂くような(ウソ)悲鳴が!見ると、NちゃんがK山君の頭を拭いている…どうやらK君は木の上の鳥から爆撃を受けてしまったようである。ここが危険地帯であるということを悟った我々は早々にそこを退散するのであった。あの座席の幌が鳥の爆撃対策であるということに気が付いたのは、その後のことであった…。

 買い物のために別動することになったグループと別れ、残りは L’ATOLLというレストランへたどり着くことができた(ちなみに屋内である)。

 ほっと一息ついた我々は、さっそくメニューをもらい、注文にかかろうとするのだが…見るとメニューがフランス語である(当たり前だが)。思い起こせば今回のツアーでは、レストランにいけば人任せ、昨日のアビニョンのレストランでもメニューに日本語バージョンがあったりして、苦労がなかった。今回初めて体験する試練である。

 結局、値段を見てボリュームを推し量ったり、知っているわずかな単語をヒントにしてみたりしたあげく、ようやくそれぞれ注文するものを絞りこんでいった。

 ここで我々はひとつの異常に気が付いた。この店に入ってから、まあ20分。その間一切注文を取りにこないのである。我々が日本人で、注文選びに手こずっているのを見てのこととも思えない。見ると店員は1人だけ。そんなに小さくない店で、しかも屋外にもテーブルがある。バイトの1人でも雇えばいいのになんて話をして待っていても、やはり来ない。「ここは少し文句をいった方がいい、場合によっては店を変えてもいい」ということになり、代表してSぶが交渉へ。

 We have no time! We must go until 2 o’clock!

 みたいなことをいったら、割とすぐに応じてくれた。しかも注文してから料理が出てくるまでの時間は早かった。いったいどうなってんの?

 出てきた料理はうまかった。ちなみに私は「steak」という単語をもとに、ステーキ料理を頼んだ。白状してしまえばそれは魚(ツナ)のステーキで、指摘されるまでビフテキかなにかだと思って食べていたのだけれど…。

 2時半、レストランから歩くこと数分、我々はサン・ソグール大聖堂へ。大きな教会で、ロマネスク様式のために中はうす暗く、ひんやりして気持ちがいい。厳かな雰囲気があふれる所である。もちろんそこはフラッシュ禁止、話し声もひそひそとしなくてはならない。それにしては、祭壇の中央にあった金色のモニュメント(というかオブジェ?)はいただけない。品がないというか…「あれじゃ錦糸町北口のオブジェだよ」という声しきりであった。

 20分足らずで大聖堂を出たあと、我々は近くのカフェ(ここも野外あり)で一休み。コーラを飲みながら一息ついていると、気が付くと目の前が学校で(校舎がこの辺の建築物と同じように昔ながらの建物を現在でも使用しているため、日本で見るような学校ではぜんぜんない)、数十人の子供が創作舞踊の授業を受けていた。観光名所の目の前でもあり、観光客が足をとめ、ひとしきり踊りが終わると、子供たちは観光客の盛んな喝采をあびていた(ほんとは観光のアトラクション?)。

 さてこのあとは、近くにあるというセザンヌの画廊とやらに、なんとなく行くことになった。ぼちぼち歩いていると、日本人を詰め込んだ観光バスが我々の傍らをかすめていく…この人たちも我々と同じところに行くんだろうな…そう思うとウンザリした。

 いく途中 ”PEARL HARBER“と銘打った映画の大きな看板が目を引いた。日本人はこんな南ヨーロッパで、どういう風にみられているんだろう?ふとこの間の演奏会でもらったパンフレットに出ていた日本人の似顔絵を思い出した。

 さて目的地に付くと、案の定、画廊は日本人観光客で溢れかえり、中に入るには数分待たなくてはならないとのこと。とても付き合いきれないと思った我々は、躊躇なくその場を離れ、集合時間まで時間をつぶすことにした(中に入った人もいたようだが)。とりあえずビールを求めて歩き出した。あと3時間ほどある。

 街は相変わらず暑く、日陰を選んで歩き続けた。しかしまあどの路地に入っても景観を損ねるということがない、この街は。これだけ古い町並みがいまでもちゃんと残っていて、しかもそこで人が住んでいるというのは、やはりすごいことである。実際に住んでみると、使い勝手がよくなかったり、修繕が必要だというようなこともあるのかもしれないが、それでもやはりすごい。この辺はまったく日本とは意識というか、文化が違うんだろうな。正直うらやましい。(これはブリュージュでもアビニョンでも感じた。それにヨーロッパの他の多くの都市がこうなんだろうなあ)

 さて、ビールを求めてウインドショッピングなどをしていると ”KYO”という看板を掲げた洋品店を発見、さっそく記念写真をとる。あとで聞いてみれば、皆この店には遭遇しており、それぞれ記念写真を撮ったとのこと、考えることは同じだなあ…。

 また、ある店ではとうとう「セミ」の置物を買ってしまった。昨日のアビニョンからとても気になっていたのだけれど、とにかく土産物屋にセミをモチーフにしたものが溢れている。最初はとても買う気にはならなかったのだけれど、日を改め、別の街に来てなお「セミ」がいるということは、これはきっと自分はセミの1匹くらいは買う運命にあるのだなどと訳の分からない感情に襲われ、とうとう買ってしまったものである。ちなみにこれは、体調15センチほどの置物で、腹部分を押すとジージーなく仕掛けがしてあり、結構気に入っている。

 5時、集合まであと1時間半、例の鳥の爆撃があった広場にあるレストランに入る(ちなみに屋内である)。

 そこのレストランでは面白いものを2つ見た。一つはトイレで、コイン式になっている。カウンターで専用のコインを受け取り、それをトイレの入り口の横にある箱に入れるとロックが解除する仕掛け。

 コインを受け取るとき、公衆トイレじゃなくてもお金を取られるのかと思い、サイフを取り出すと、店員のにいちゃんが、「それは不要だ!」というゼスチャー。広場に面しているため、勝手に使われるのを防ぐためなのかもしれない。

 それからもう一つ見た面白いものは広場にいた道化役者。石膏像そっくりに変装し、観光客の前で、本当にその広場に何百年も前からあるようなふりをして立っている。

 このパフォーマンスのミソは数分に1回ポーズを変えることである。このレストランからは広場をはさんでちょうど反対側で行われているため、本当にそれは像にしか見えず、それがポーズを変えたときは我が目を疑ったものだった(白状してしまえば、その時私は、となりにいたCに「あそこによくできたからくりで動く像がある」などと本気でいってしまったのであった。)。

 面白いのはここからで、時計が6時を打つと、この道化役者の本日の営業(?)はここまでらしく、その場で、変装を解いてしまったのである!せめてどこか他にいってやりゃいいのにねえ…見てみると胸にイレズミをし、ジーパンをはいた何の変哲もない普通のおじさんだった…悔やまれるのは、この一部始終の写真を撮り損ねたことである!!

 集合時間の6時半。全員がそろう・・・したもんだ。しかしながら、聞くと店は皆が時間どおり集まらないのを見越して7時からとってあるとのこと、文句を言っていいんだか、反省しなくてはいけないんだか、ウーン。

 気が付くと、N夫さんがスキンヘッドになっている!どうしちゃたの?何か反省?・・・何のことはない、先生やTちゃん、Dちゃんといっしょに切りにいき、見本を見ていてこれが気に入ったのだとか・・・ウーン。

 集合場所から歩くこと数分、打ち上げ会場へ。建物を中へ入って階段を上ると何やらムードのある部屋に案内された。外はまだまだ明るいのに…不思議な感じがする。

 出されたワインや料理は大変おいしかったが、そこで延々食べていると予算的に大変なことになるようで、そこは早々に切り上げて、続きはホテルに帰ってからやるということを確認して、打ち上げが始まった。

 始まってまもなく、Mりんの「後ほど、主だった人たちに挨拶をしてもらうので、自分がそうだと思う人は喋ることを考えておいて下さい」という案内がある。皆自分とは関係ないと思っているのか、それまでとそんなに雰囲気は変わらなかったのだが、まもなく「今のを訂正します。全員に一言ずつ1分以内で喋ってもらいます」という案内に変わると、その場の空気が一転、まるでカニ料理がでたような静けさになってしまった。

 打ち上げはその後、予告どおり、一人一人が挨拶をしたあと、粛々と終わり、各々タクシーに分乗して、無事ホテルに戻った。お疲れさま。

 宿に戻ってからの打ち上げは、先生が直々に選んだという食材を中心に、K子先生やN夫さん、A保さんが準備をしてくれた(ありがとうございます。)。明日の帰国を控え、皆、その夜は多いに盛り上がったのはいうまでもない・・・。

川崎さん・まるさん