東京カンタート'97/三善晃スピーチ(1997.5.12)

1997.5.12 なかのZERO 大ホール(東京都中野区)

 1997.5.12 東京カンタート'97オープニングコンサートで、今回のテーマ作曲
家として取り上げられた三善晃氏のスピーチが有りました。
 個人的な聞き取りにつき、不正確な部分もあると思いますが、参考までに。

 東京カンタートのテーマ作曲家に取り上げていただきましたが、作品について は色々な場所でお話をしてきているし、書いたものもあるので、今回は日本の 合唱音楽についてお話しさせていただこうと思います。 ・合唱連盟について  日本のアマチュア音楽の発展は、無数の合唱団と、それを引っ張ってきた合唱 連盟の50年間の努力に負うところが大きいと思います。このような努力は、吹奏 楽の世界にもあり、日本のアマチュア音楽はまさに、合唱と、吹奏楽の二本の 柱で支えられ発展してきました。 ・合唱と作曲家について  この間の合唱団と作曲家の関わりについては、合唱人からの「自分たちの言葉 (母国語・日本語)で、歌いたい」という歌う人たちの現場の熱意に作曲家が動か され、沢山の創造的な仕事がなされてきました。  私(三善)も、40年間で、組曲の中の個々の作品も数えれば、300曲あまりの 合唱曲を書いてきました。  この50年間(連盟発足から50年)の「日本語による合唱作品」の活動は、合唱人 にとっても、作曲家にとっても大きな価値のある歴史です。 ・日本の合唱界の今後の課題について  これまでの歴史の中で日本の合唱界は大きく発展してきましたが、今、いくつ かの課題を抱えていると思います。 1.技術志向について  音楽をやっていると、もっと上手く歌いたいという欲求は自然に起こってきま す。そして、コンクールなどに参加することで技術を磨いて行くわけですが、 コンクールの結果に一喜一憂して、歌うこと本来の喜びを失うようなことになっ て欲しくはないと思います。  二つにそのような技術・完成度を目指す人と、私たちは歌って楽しみたいのだ という人の指向の分離。それらの融合の問題があると思います。 2.合唱団をカテゴリー化することの意味に対する疑問  日本にはたくさんの、おかあさんコーラス、シルバー・コーラスと呼ばれる 団体があるが、おかあさんだから、おかあさんコーラスだというような定義をし てよいのか。そのような分類に意味があるのか、考えてもらいたい。 (それによって活動が決められてしまったりしてはいないか?)  また、コンクールでは、学生の部、職場の部、一般の部などと分けられている が、このような分類に音楽的な意味はあるのか? 学生だから何々…などという ものがあるのか? 同じような環境で活動しているというだけで、音楽的にはな んら意味がない。こういうことを考え直してもらいたい。 3.社会情勢について  今、日本では社会、経済的な条件の悪化が進んでいる。余暇の時代、クオリテ ィー・オブ・ライフということが言われているが、はたして世の中はそうなって いるか?  学校ではいじめを始めとした様々な問題が起こり、先生はそのようなことで 時間に追われている。個人にも子育てや老人の世話の問題など、様々な問題に 取り囲まれている。  生涯全てに渡って「生活の質を向上させる」ことを考えなければならない。 4.国際化について  日本の合唱曲は、いまや高い水準にあるが、日本語の壁がありこれが外国で 歌われるようになるかというと、大変難しい問題である。  一方、日本には国民的音楽レベルと、芸術的音楽のレベルの間に大きな違いが ある。  例えば、本日のゲストの皆さんの国では(イギリスなど)国民的に歌われている 音楽と、芸術音楽がほとんど同じであるのに対して、日本では芸術音楽と、 「日本の歌」というものが違っている。  この問題を考え解決していかなければならない。  これらの色々な問題を見据え、真剣に考え、母国語による、一人一人の音楽を 歌っていくことが必要である。  日本の伝承音楽から、われわれが未来につなげていくもの。今の日本の民族的 レベルなどを伝えていくこと。そういうことが必要だと思う。  東京カンタートの主催は『音楽樹』という団体だが、一人一人の音楽樹が互い に根を張り巡らせ、かたい結びつきを全国に広めていくことを願いたい。  自分もまた一人の音楽家として、日本の音楽の根を張り巡らせたいと願ってい る。  最後に「音楽樹」は新しく生まれた団体であるが、「合唱連盟」とも協力し、 共に日本の合唱音楽の発展のためにつくしていって欲しい。 --------  以上が三善先生のお話の内容です。

written by 唐澤清彦, edited by 藤平 <thompay@mbe.nifty.com>
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